徳川歴代将軍の霊廟所在地とは? わかりやすく解説

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徳川歴代将軍の霊廟所在地

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/30 15:12 UTC 版)

徳川家霊廟」の記事における「徳川歴代将軍の霊廟所在地」の解説

徳川家康1543年 - 1616年久能山東照宮日光東照宮 徳川秀忠1579年 - 1632年家康三男増上寺 台徳院霊廟 崇源院1573年 - 1626年秀忠正室淀殿の妹) 増上寺 崇源院霊牌所 ※没後崇源院霊屋増上寺建てられたが、秀忠没後崇源院台徳院霊廟祀られた。建物(旧崇源院霊屋)は正保4年1647年)、鎌倉建長寺移築され仏殿となった徳川家光1604年 - 1651年秀忠次男輪王寺 大猷院霊廟法要寛永寺行い輪王寺埋葬された。寛永寺霊廟は、1720年(享保5年)に焼失し再建されず、霊牌は巌有院廟に合祀された。 徳川家綱1641年 - 1680年家光長男寛永寺 厳有院霊廟 徳川綱吉1646年 - 1709年家光の四男)寛永寺 常憲院霊廟 徳川家宣1662年 - 1712年家光三男甲府城主綱重の長男増上寺 文昭院霊廟 徳川家継1709年 - 1716年家宣の四男)増上寺 有章院霊廟 徳川吉宗1684年 - 1751年御三家で、紀州家二代光貞の四男、家康曾孫墓所寛永寺常憲院霊廟合祀院号有徳院 ※吉宗1720年享保5年御霊屋建立禁止令を出し以降大規模な霊廟建築されず、寛永寺増上寺いずれか霊廟合祀し宝塔霊牌所が建立された。 徳川家重1711年 - 1761年吉宗長男墓所増上寺有章院霊廟合祀院号:惇信院 徳川家治1737年 - 1786年家重長男墓所寛永寺厳有院霊廟合祀院号:浚明院 徳川家斉1773年 - 1841年御三卿で、一橋二代治済の長男吉宗曾孫墓所寛永寺厳有院霊廟合祀院号:文恭院 徳川家慶1793年 - 1853年家斉二男墓所増上寺文昭院霊廟合祀院号慎徳徳川家定1824年 - 1858年家慶の四男)墓所寛永寺常憲院霊廟合祀院号:温恭院 徳川家茂1846年 - 1866年家斉の七男で紀州家十一代斉順の長男墓所増上寺文昭院霊廟合祀院号:昭徳院 徳川慶喜1837年 - 1913年御三家で、水戸家九代斉昭の七男、一橋九代当主墓所谷中寛永寺墓地後継将軍がいないため合祀できず、谷中霊園内に神道形式埋葬した。)

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