文昭院霊廟
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文昭院霊廟(ぶんしょういんれいびょう)は、江戸幕府6代将軍徳川家宣の霊廟建築。芝増上寺に造営された。豪華な彫刻で飾られていたが、東京大空襲で焼失した。
- ^ 昭和5年5月23日文部省告示第161号(参照:国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 昭和17年12月22日文部省告示第648号(参照:国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『徳川家霊廟』p.19、『戦災等による焼失文化財 増訂版 建造物編』
- ^ 『徳川家霊廟』pp.88 - 89、『戦災等による焼失文化財 増訂版 建造物編』
- ^ 『徳川家霊廟』pp.89 - 90
- ^ 昭和24年10月13日文部省告示第181号(参照:国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 官報告示及び『戦災等による焼失文化財 増訂版 建造物編』は桂昌院宝塔を石造、月光院宝塔を銅造とするが、『国宝・重要文化財建造物目録』(1990年版)は逆に桂昌院宝塔を銅造、月光院宝塔を石造とする。諸資料から後者が正しいと思われる。
- ^ 桂昌院宝塔、天英院宝塔、広大院宝塔の現所在地は文化庁および増上寺の公式資料では公表されていないが、桂昌院宝塔は埼玉県所沢市狭山不動尊、天英院宝塔と広大院宝塔は東京都清瀬市長命寺に移設されている。参照:青山貞一・池田こみち「増上寺石灯籠等移築実態調査」(2019年1月13日閲覧)
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「文昭院霊廟」の続きの解説一覧
- 1 文昭院霊廟とは
- 2 文昭院霊廟の概要
- 3 参考文献
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