戦災被害とその後の変遷とは? わかりやすく解説

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戦災被害とその後の変遷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/12 23:45 UTC 版)

文昭院霊廟」の記事における「戦災被害とその後の変遷」の解説

霊廟1945年3月10日空襲遭い旧国指定物件21棟のうち、奥院宝塔奥院中門を除く19棟、附指定15棟のうち宝塔3基を除く12棟、銅燈籠138基のうち43基が焼失した。これら焼失物件は、1949年10月13日官報告示正式に指定解除された。 焼け残った奥院宝塔及び奥院中門と、附指定慎徳宝塔静寛院宮宝塔、昭徳院宝塔銅燈籠95基は1950年文化財保護法施行後重要文化財となったまた、以下の5基の宝塔は、文昭院霊廟隣接地にあったもので、元は崇源院秀忠夫人霊牌所の附(つけたり指定であったが、同霊牌所の戦災焼失後は文昭院霊廟の「附」という扱いになった崇源院徳川秀忠夫人宝塔石造天英院徳川家宣夫人宝塔石造広大院徳川家斉夫人宝塔石造桂昌院徳川綱吉母)宝塔造) 月光院徳川家継母)宝塔石造戦災焼失をまぬがれた銅燈籠95基は原位置から移動したため、1957年7月24日付け重要文化財指定解除された。同じく戦災焼失をまぬがれた奥院宝塔及び奥院中門と、附指定宝塔8基(慎徳院、静寛院宮、昭徳院、崇源院天英院広大院桂昌院月光院)は、墓地改葬に伴い1958年5月14日付け重要文化財指定解除された。以上により、文昭院霊廟関係の重要文化財はすべて指定解除されている。 徳川家霊廟埋葬されていた徳川将軍夫人側室らの遺骨1958年学術調査実施された後、桐ケ谷斎場荼毘付され増上寺安国殿裏の増上寺御霊屋徳川将軍家墓所)に改葬された。 増上寺安国殿裏の増上寺御霊屋徳川将軍家墓所)には、旧重要文化財宝塔8基(下記)が移設されている。また、文昭院霊廟奥院中門銅製、旧重要文化財)が同墓所入口の門として転用されている。 増上寺御霊屋移設された宝塔文昭院(徳川家宣宝塔造) - 改葬後は天英院家宣夫人)を合葬する 崇源院徳川秀忠夫人宝塔石造) - 改葬後は台徳院(秀忠)を合葬する(台徳院宝塔木造であったため戦災焼失有章院徳川家継宝塔石造) 惇信院(徳川家重宝塔石造慎徳院(徳川家慶宝塔石造) 昭徳院(徳川家茂宝塔石造静寛院宮徳川家茂夫人宝塔造) 月光院徳川家継母)宝塔石造) - 改葬後は将軍生母側室等の合祀となっている なお、桂昌院綱吉母)宝塔造)、天英院家宣夫人宝塔石造)、広大院家斉夫人宝塔石造)は増上寺には残っていない。

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戦災被害とその後の変遷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/08 09:35 UTC 版)

厳有院霊廟」の記事における「戦災被害とその後の変遷」の解説

霊廟1945年3月10日空襲遭い旧国指定物件13棟のうち、勅額門、水盤舎、奥院宝塔奥院唐門を除く9棟が焼失した。これら焼失物件は、1949年10月13日官報告示正式に指定解除された。 焼け残った勅額門、水盤舎、奥院宝塔及び奥院唐門並びに附(つけたり指定の浚明院宝塔及び文恭院宝塔1950年文化財保護法施行後重要文化財となった焼け残った重要文化財指定建造物は、1963年官報告示で以下の2件に分割された。 厳有院霊廟勅額門及び水盤舎 2棟勅額水盤厳有院霊廟奥院 2棟奥院宝塔 奥院唐門 附 浚明院宝塔 附 文恭院宝塔 上記のうち「勅額門及び水盤舎」は寛永寺所有、「奥院」は個人所有である。

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戦災被害とその後の変遷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/19 05:21 UTC 版)

有章院霊廟」の記事における「戦災被害とその後の変遷」の解説

霊廟1945年3月10日および同年5月25日空襲遭い旧国指定物件21棟のうち、二天門奥院宝塔を除く19棟、附指定の7棟のうち宝塔を除く6棟、附指定銅鐘附指定銅燈籠12基のうち8基、惇信院宝塔附指定銅燈籠6基のうち2基が焼失した。これら焼失物件は、1949年10月13日官報告示正式に指定解除された。 焼け残った二天門及び奥院宝塔並びに附指定の惇信院宝塔及び銅燈籠8基は1950年文化財保護法施行後重要文化財となった戦災焼失をまぬがれた銅燈籠8基は原位置から移動したため、1957年7月24日付け重要文化財指定解除された。同じく戦災焼失をまぬがれた奥院宝塔と、附指定の惇信院宝塔は、墓地改葬に伴い1958年5月14日付け重要文化財指定解除された。以上により、有章院霊廟関係の重要文化財指定解除されていないのは二天門のみとなった徳川家霊廟埋葬されていた徳川将軍夫人側室らの遺骨1958年学術調査実施された後、桐ケ谷斎場荼毘付され増上寺安国殿裏の増上寺御霊屋徳川将軍家墓所)に改葬された。 増上寺安国殿裏の増上寺御霊屋徳川将軍家墓所)には、有章院宝塔、惇信院宝塔を含む旧重要文化財宝塔8基(下記)が移設されている。また、文昭院霊廟奥院中門銅製、旧重要文化財)が同墓所入口の門として転用されている。 増上寺御霊屋移設された宝塔崇源院徳川秀忠夫人宝塔石造) - 改葬後は台徳院(秀忠)を合葬する(台徳院宝塔木造であったため戦災焼失) 文昭院(徳川家宣宝塔造) - 改葬後は天英院家宣夫人)を合葬する 有章院徳川家継宝塔石造月光院徳川家継母)宝塔石造) - 改葬後は将軍生母側室等の合祀となっている 惇信院(徳川家重宝塔石造慎徳院(徳川家慶宝塔石造) 昭徳院(徳川家茂宝塔石造静寛院宮徳川家茂夫人和宮宝塔造)

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