戦災被害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 14:54 UTC 版)
太平洋戦争末期の空襲被害は中部配電管内においても甚大であった。1944年12月から空襲(名古屋大空襲)が始まった名古屋市を筆頭に管内主要都市は軒並み空襲被害に遭い、市街地にある配電設備を中心に損害が生じたのである。被害額は配電設備だけで1986万円に及ぶ。業務設備の被害も大きく、名古屋市内所在の本店建物は焼失を免れたが、空襲がほんんどなかった長野県を除いて支店・営業所建物が多数罹災した。その反面、水力発電設備は山間部に分散するためほとんど被害はなく、送電・変電設備の被害も比較的軽微で済んだ。 戦災による総損失額は3081万9千円であった。損失の償却処理は1944年下期から計上され、戦後1946年(昭和21年)下期まで続けられた。 また大戦末期には震災被害もあった。1944年12月の昭和東南海地震と翌1945年1月の三河地震による被災である。揺れの強い地域では大規模な停電が発生したが、すでに非常動員体制が敷かれていたため、各地から応援隊が入って迅速に復旧された。
※この「戦災被害」の解説は、「中部配電」の解説の一部です。
「戦災被害」を含む「中部配電」の記事については、「中部配電」の概要を参照ください。
戦災被害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 01:21 UTC 版)
「大阪市立扇町高等学校」の記事における「戦災被害」の解説
1945年6月1日の第二次大阪大空襲で扇町校舎を全焼した。そのため被災直後の同年6月11日、北区浪花町(天六交差点の南西)・大阪市北天満国民学校に移転した。 さらに1946年9月2日には北区・大阪市堀川国民学校(現・大阪市立堀川小学校)への移転を実施している。1948年に北区堂島西町3番地(現在の北区堂島3丁目)・大阪市立中之島高等学校(旧制大阪市立中之島高等女学校)内に移転した。
※この「戦災被害」の解説は、「大阪市立扇町高等学校」の解説の一部です。
「戦災被害」を含む「大阪市立扇町高等学校」の記事については、「大阪市立扇町高等学校」の概要を参照ください。
戦災被害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 14:16 UTC 版)
太平洋戦争の末期になると北陸配電管内の都市に対する空襲が始まり、1945年7月敦賀と福井、8月富山で戦災被害があった。被害は配電線・電柱の損壊、変圧器・計器の焼失など3都市における配電設備が中心で、他に送電線の断線・支持物損害、事業所・社宅・倉庫の被災などがあった。被害総額は414万5千円に及ぶ。 戦争末期の軍需生産の行き詰まりによる収入減に加え、上記戦争被害に伴う戦災損失金の償却を行ったため、終戦直後の1945年上期(9月)決算では利益が0円になり無配を余儀なくされた。
※この「戦災被害」の解説は、「北陸配電」の解説の一部です。
「戦災被害」を含む「北陸配電」の記事については、「北陸配電」の概要を参照ください。
- 戦災被害のページへのリンク