開園の背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 10:26 UTC 版)
舎人公園は1940年(昭和15年)3月9日に防空緑地として、内務省(当時)の設置した都市計画東京地方委員会にて計画決定された。 これは当時の東京は日増しに膨れ上がる爆発的な人口増加に生活関連社会資本の整備が遅れ、過密化する都市構造が都市住民の健康的な生活や都市防災に重大な影響を与える懸念があったためである。 委員会が提示した総合緑地設置の理由は、東京地域の都市環境・防災構造の改善を図るべく、戦時においては都市空襲による戦災被害を軽減し、平時においては地域住民の保健・衛生に利用して体位の向上を図るために、都心から20km圏内に総面積20万-50万坪の防災緑地として東京府知事の責任の下、複数の防災緑地を設置するというものであった。このなかで決定された計画緑地のひとつが舎人防災緑地である。
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