開園の経緯とは? わかりやすく解説

開園の経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 14:22 UTC 版)

カナディアンワールド公園」の記事における「開園の経緯」の解説

1984年芦別市三井芦別炭鉱閉山による産炭地斜陽化対策一つとして旭町油谷地区での大規模観光開発計画憩い建設基本構想」を立案計画案委託した東急エージェンシー北海道支社提案した市の澄んだ空気で星が綺麗に見られる特徴活かした星をテーマとした地域活性化策「星の降る里構想」の提案元に芦別レジャーランド(後の北の京芦別)等の既存観光資源生かした北斗七星観光ラインゾーンとの相乗効果による観光集客見込み観光事業計画の策定開始その後1985年9月東急エージェンシーから天体関連センター施設群とスポーツ・アウトドア施設群からなる基本構想提示1986年には観光開発構想促進市民会議設立されたが開催はなく市民不在での開発カナディアンワールド問題発端になったと後に指摘されている。 国の産炭地活性化支援事業支援を受け1987年2月に星と天体テーマとした観光レジャー施設中心とした100円規地域振興計画「星の降る里ワールド基本計画」を策定し1987年10月20日には一部見直した事業計画決定し谷地区の炭鉱跡地230ヘクタールに総事業費70億円で屋内ウォーターパーク中心に小説赤毛のアン」のテーマパーク200規模ホテル建設する内容とされた。東急エージェンシー役員木村王一北海道と同じ北方圏のプリンスエドワード島視察し木村夫人赤毛のアンファンだった事も影響し赤毛のアン用いた開発提案となったその後星の降る里ワールド計画事業主体として産業基盤整備基金からの出資第一号指定を受け芦別市(27.7%出資)・通産省産業基盤整備基金(26.6%出資)・東急エージェンシー中心とした第三セクター「星の降る里芦別」が1988年3月11日設立され社長に当時芦別市長が就任したものの実質的な経営東急エージェンシー依存するとなった1988年8月には収支計画検討結果ウォーターパーク計画撤回し156ヘクタールでの「カナディアンワールド計画案発表第1次計画として芦別鉱業石炭露天掘行っていた新旭炭鉱黄金露天掘坑の跡地48haに39億円の事業費赤毛のアンテーマパークとそれを取り巻く形でラベンダー畑ハーブ畑の建設第二次計画として108haの敷地リゾートホテルコテージ森林レクリエーション施設31億円で建設とした。これに関連し民間企業によるスキー場ゴルフ場開発芦別市による天体博物館レジャー施設構想立てられ大規模開発見込まれていた。 東急エージェンシーから星の降る里芦別出向していた東急エージェンシー山本浩専務取締役開園直後社内報にてカナディアンワールド開発について第三セクターでの母体組織間の意見対立東急グループ支援不足、テーマパーク経験者不在問題点として指摘していた。 なお開園後の1991年時点芦別市内では官民合わせて合計423円規の以下のリゾート開発計画されていた。 計画建設地事業主体内事業費開業予定最終実態カナディアンワールド第1次黄金町 星の降る里芦別 赤毛のアンテーマパーク 52.5億円 1990年 開業倒産後市営公園 カナディアンワールド第2次黄金町 星の降る里芦別 ホテル・コテージ・博物館 31億円 1994年 廃案 カナディアンスポーツワールド 新城町 三栄スポーツ産業 スキー場ゴルフ場ホテル 108.76億円 1996年 一部用地買収中止 星の降る里ナチュラルパーク 旭町油谷 芦別鉱業 オートキャンプ場スポーツ施設牧場 50億円 1995年 廃案 星の降る里シンボリックワールド 旭町油谷 芦別市 星の博物館 27.32億円 1995年 廃案 星の降る里シンボリックワールド 旭町油谷 芦別市 天文台レストラン芸術館生活館 68.3億円 1995-2004年 廃案 星の降る里リフレッシュ 旭町油谷 芦別市 広場キャンプ場花園アスレチック 8.26億円 1990-1998一部造成中止 芦別市健民センター 旭町油谷 芦別市 芦別温泉改築 2.24億円 1991年 実現 芦別ゴルフクラブ 豊岡町 大東産業 ゴルフ場 50億円 1995年 一部用地買収中止 滝里ダム周辺地域振興里町 空知川ゴルフ公社 ゴルフ場 3億円 1990年 実現 滝里ダム周辺地域振興里町 北海道開発局 ダム湖畔施設整備 9.61億円 1995-98年 実現・市に管理委託 星の降る里コミュニティエリア 本町 芦別市 道の駅物産センター百年記念館 12.72億円 1991-93年 実現

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開園の経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/12 18:53 UTC 版)

五桂池ふるさと村」の記事における「開園の経緯」の解説

五桂地区は、ミカン栽培盛んな地域であり、昭和30年1955年)代まではミカンによる好景気潤い裕福まとまりのある集落形成していた。そして昭和40年1965年)代には集団みかん園が造成されたが、その後ミカン価格低迷五桂地区大きな経済的打撃受けた。この事態打開しようと区長や班代表による話し合いがもたれ、五桂池ふるさと村構想出来上がった構想では、五桂池周辺の自然環境農業体験組み合わせた第二ふるさと」を作ることと、地区共同作業の場を創生することで婦人会老人会活性化を図ること、の2点目指すこととなった計画1981年昭和56年)に認定され多気町後押し国庫補助事業農林漁業金融公庫低利融資宝くじ緑化事業という行政資金面支援を受け、1985年昭和60年)に正式な開園至った

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