「皇帝のソリスト」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/14 03:08 UTC 版)
「ワシーリー・アンドレーエフ」の記事における「「皇帝のソリスト」」の解説
1914年よりニコライ2世に庇護され、アンドレーエフは「皇帝のソリスト」の称号を得る。1917年にロシア革命が起こると、アンドレーエフは利益の多い外国のコンサート諸団体の申し出を断って革命政府の任務に協力した。「大ロシア合奏団」は労働者のクラブや集会で演奏し、ロシア内戦時の前線を回った。 1918年12月、アンドレーエフはペトログラード(サンクトペテルブルクの当時の呼称)で重い感冒にかかり、57歳の生涯を閉じた。葬儀で、遺骸はフレデリック・ショパンの葬送行進曲に送られ、アレクサンドル・ネフスキー大修道院の墓地に埋葬された。 アンドレーエフの愛器「ナリーモフ102番」は、「大ロシア合奏団」のバラライカ奏者トロヤノフスキーが受け継いだ後、サンクトペテルブルクの楽器博物館に所蔵された。
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