「皇民奉公会」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 20:56 UTC 版)
詳細は「皇民奉公会」を参照 日中戦争勃発により、台湾「臣民」の心が中国大陸に向かい、抗日意識が高まることを恐れた台湾総督府は、「国語」政策を軸とする「皇民化」政策を加速させた。この政策の帰結が、第17代台湾総督督長谷川清の下で1941年(昭和16年)発足した「皇民奉公会」である。「皇民奉公会」とは、皇民奉公運動を積極的に推進するための中心機関である。「戦時下国家総力ヲ発揮シ戦力増強ニ遺憾ナカラシムル為ニハ国民ノ積極的協力ト時局担当ノ熱意」が不可欠であり、「内地人、本島人、高砂族ノ全島民ヲ挙」げ、「戦意ノ高揚、決戦生活ノ実践、勤労態勢ノ強化、民防衛ノ完遂、健民運動ノ推進」を目的とする官製の実践運動である。すなわち大政翼賛の政治体制の強化と、台湾人の同化を推進する皇民化の二つの目的を有し、台湾の青年男女を訓練し、産業奉公を展開し、後方を固めるという任務を有した。総裁には、長谷川総督が就任した。総督府総務長官が中央本部長に就任し、その下に、総務、宣伝、訓練、文化、生活、経済の各部会を設けた。地方組織として、州、庁、市、郡、街、庄という既存行政機関に対応して、奉公会の支部、分会、区分会、集落会、奉公班が設けられた。各級組織のトップは、各級の行政機関のトップが兼任した。さらに奉公会の外郭として、奉公団、商会奉公会、産業奉公会、青年団、少年団などが置かれた。このようにして台湾の全ての人間が奉公会の会員になった。このような官製運動は、国家総動員体制下にあった日本の大政翼賛運動の影響を受けている一方、同時に台湾におけるこの運動も、戦時下の日本軍支配下の南方各地にも影響を与えている。たとえば「ジャワ奉公会」は、「皇民」の名は冠しないものの「全島民親和の裡に軍政施策を実践推進して以て大東亜共栄圏の一環としてジャワ住民の使命たる聖戦完遂に挺身する」ことを目的としており、多くの点で「皇民奉公会」と共通性がある。
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