「盛岡冷麺」の誕生と全国的展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 08:20 UTC 版)
「盛岡冷麺」の記事における「「盛岡冷麺」の誕生と全国的展開」の解説
やがて1979年(昭和54年)に開業した「焼肉ガーデン ペコ&ペコ」(2001年閉店)は、テレビ・ラジオ・市内映画館などのメディア広告を使い「冷麺」を宣伝し、この宣伝がヒットして「冷麺」は岩手県内に知れ渡ることとなった。「ペコ&ペコ」では「平壌冷麺」ではなく、単に「冷麺」と呼称していた。 「盛岡冷麺」の名称を市内の店で初めて使用したのは、1987年(昭和62年)に「ぴょんぴょん舎」を創業した在日2世の邊龍雄(へん りゅうゆう、ピョン・ヨンウン)である。1986年(昭和61年)10月に盛岡で開かれた「日本めんサミット」に出店した際、運営を担当していた盛岡市職員の田口善政がこう勧めたという。 「盛岡冷麺」という名称は当初、在日のコミュニティーからは「故郷の味を安売りするもの」「祖国の食文化を日本に売り渡す」と猛反発を受けた。が、これを機に徐々に「盛岡冷麺」の名が市民に浸透し始め、全国的にも盛岡の名物として知られるようになる。邊をはじめ、楊を追って冷麺をつくり始めた店では、それぞれが独自の試行錯誤を繰り返し、盛岡冷麺の味は次第に日本人の味覚に合ったものに変化しつつある。 こうした「盛岡冷麺」誕生と浸透の経緯は、1993年(平成5年)に朝日新聞岩手版に小西正人記者によって連載された記事「冷麺物語 日本と朝鮮・韓国の間に横たわるもの」で初めて詳細に明らかにされた。連載記事は2007年(平成19年)に「盛岡冷麺物語」(リエゾンパブリッシング刊)として書籍化された。その後、この記事をベースにしたTV番組「ザ・ルーツ 俺たちの盛岡冷麺」が、2009年(平成21年)3月、岩手朝日テレビで放送されている。 2000年(平成12年)4月からは、讃岐うどん、札幌ラーメン、長崎ちゃんぽん、沖縄そばなどと同様に、公正取引委員会が「盛岡冷麺」の生麺に対して「特産」・「名産」表示を認め、盛岡冷麺は "本場" として認定された。
※この「「盛岡冷麺」の誕生と全国的展開」の解説は、「盛岡冷麺」の解説の一部です。
「「盛岡冷麺」の誕生と全国的展開」を含む「盛岡冷麺」の記事については、「盛岡冷麺」の概要を参照ください。
- 「盛岡冷麺」の誕生と全国的展開のページへのリンク