ベッサラビアおよびブコビナの統合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 07:21 UTC 版)
「大ルーマニア」の記事における「ベッサラビアおよびブコビナの統合」の解説
ブコビナにおいては、ルーマニア軍による占領後、議会によってルーマニアへの統合が可決された。ルーマニア人、ドイツ人、ポーランド人、ユダヤ人の議員は賛成したものの、ウクライナ人(当時の人口の38%を占める)の議員は反対した。ベッサラビアでは、1917年に新設された「国家議会」(Sfatul Ţării) によってその独立が宣言されたが、1918年1月には解体され、秩序の乱れたロシア軍の退却に見舞われた。ルーマニア軍は、ロシア革命を押し広げていたボリシェヴィキからベッサラビアを守るために同地を占領した。1918年1月24日にロシアからの独立を宣言した後、ルーマニア人が優位を握っていた「国家議会」は、1918年4月9日にルーマニアへの統合を諮り、148人の議員のうち賛成86、反対3、棄権36(多くは少数民族で、当時の人口の約半数を占めた)、欠席13により決議された。
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