カーシム政権 (1958年-1963年)
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1958年7月14日、アブドルカリーム・カーシムとアブドッサラーム・アーリフ率いる自由将校団(英語版)のクーデターによって打倒された(7月14日革命)。この結果、アラブ連邦は崩壊。カーシム政権は、3名の主権評議会、カーセルが首相・国防・最高司令官を兼任、アーリフを副首相兼内務大臣、自由将校団から数名登用、1956年からカーシムの属する国民民主党を中心としたバアス党とイラク共産党との同盟である国民連合戦線(アラビア語: حزب الاستقلال العراقي) から文民を登用した(後にバアス党との共闘は解消した)。 1959年3月24日、中東条約機構を脱退。1960年9月14日、バグダードで石油輸出国機構(OPEC)結成。1961年6月19日、クウェートが独立。6月25日、カーシムがクウェート併合に言及すると、イギリス軍がen:Operation Vantageを発動し、独立を支援した。
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