イラクのクルディスタン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/19 00:31 UTC 版)
「クルドの旗」の記事における「イラクのクルディスタン」の解説
イラクの国旗が2008年に新しく定められるまでの間、イラク戦争後のクルディスタン地域では、バアス党およびアラブ民族主義のシンボルが含まれていると見られた従来のイラク国旗は掲揚されず、バアス党が政権を握る以前のアブドルカリーム・カーシム時代のイラク国旗が掲揚されていた。カーシム政権の時期のイラク国旗には、クルド人を象徴する黄色い太陽やアッシリア人を象徴する赤い星も含まれているが、バアス党時代に入りこれらは取り除かれている。 2006年、クルディスタン地域政府の大統領マスウード・バルザーニはイラク国旗(2004年から2007年まで使用されていたもの)の掲揚を禁止し、その代わりに地域政府の建物にクルディスタンの旗を掲揚し、イラク国内のアラブ人、および隣国トルコの政府との間で緊張が高まった。 イラクの首相ヌーリー・マーリキーは首相府を通じ「現在のイラク国旗は、議会が憲法に基づいて国旗問題に関する決定をするまでの時期、イラク国土のあらゆる部分で掲げることのできる唯一の旗である。」という短い声明を発表した。バルザーニはこの直後、イラク国旗を地域政府庁舎に掲揚するのを禁じた命令に抵抗したアラブ人の指導者らに対し、彼らが排外主義者でありクルドの人々に自分たちの意思を強制しようとしているとクルド民族議会で攻撃を加えた。一方、トルコの外相(後の首相)であるアブドゥラー・ギュルはテレビのインタビューに対して、イラクがクルディスタンの旗の掲揚を自国内で認めるようなことがあればもうおしまいだと述べた。 2008年のイラク国旗案でも、クルド人を象徴する黄色や太陽を用いた案もいくつかあったが、これらは採用されず、バアス党を表す3つの星が取り除かれただけだった。しかし、2008年のイラク新国旗制定の後、クルディスタン地域でも新イラク国旗は掲揚されるようになった。 ?フセイン政権崩壊後の2004年から2008年までの旗。汎アラブ色の使用、およびバアス党の政策を表す中央の3つの緑の星が忌避された ?アブドルカリーム・カーシム政権(1959年-1963年)の旗
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