イラクの反応
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イラクは国連の決議を無視、さらに態度を硬化させ、8月8日に「クウェート暫定自由政府が母なるイラクへの帰属を求めた」として併合を宣言、8月28日にはクウェートをバスラ県の一部と、新たに設置したイラク第19番目の県「クウェート県(英語版)」に再編すると発表した。8月10日にアラブ諸国は首脳会談を開いて共同歩調をとろうとしたが、いくつかの国がアメリカに反発してイラク寄りの姿勢を採ったので、取りあえずイラクを非難するという、まとまりのないものとなった。 8月12日にイラクは「イスラエルのパレスチナ侵略を容認しながら今回のクウェート併合を非難するのは矛盾している」と主張(いわゆる「リンケージ論」)、イスラエルのパレスチナ退去などを条件に撤退すると発表したが、到底実現可能性のあるものではなかった。10月8日にエルサレムで、20人のアラブ系住民がイスラエル警官隊に射殺されるという、中東戦争以後最大の流血事件が起こり、フセインは激しく非難したが、これを機にパレスチナ問題が国際社会で大きく取り上げられるようになった。またこの主張によりPLOはイラク支持の立場を表明、結果クウェートやサウジアラビアからの支援を打ち切られて苦境に立ち、後のオスロ合意調印へと繋がる事になった。
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イラクの反応
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「バグダード爆弾テロ事件 (2016年7月)」の記事における「イラクの反応」の解説
3日、ハイダル・アル=アバーディ首相が現地を訪れたが、住民の怒りは首相に対して向けられた。これは、治安の強化を約束したにもかかわらず、それが果たされなかったことによるものである。ニューヨーク・タイムズのレポーターは、現地の店主が『子供たちの復讐のためにアバーディに投石し、命中したことを神に感謝する』と述べたことを伝えている イラク政府は3日間の服喪を宣言した。ハイダル・アル=アバーディ首相は攻撃の実行者を罰するとの声明を行った。 イラクのスンニ派を指導する組織イラク・ムスリム・ウラマー協会は、このテロ事件を「実行者が誰で、その動機がどこにあるにせよ、血なまぐさい犯行」であると述べた。 直近の死者数が報じられた後、イラク国防省は資材、検問地点、バグダードの安全を適切に制御するための諜報機関が十分ではなく、圧倒されていることを認めた。ソーシャルメディアでは、イラク人の中には、かつて首相が検問から撤収するとした偽爆発物探知機ADE 651に対する怒りを表すものもいた。
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