オスロ合意とは? わかりやすく解説

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オスロ合意

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/23 14:25 UTC 版)

暫定自治政府原則の宣言
Declaration of Principles on Interim Self-Government Arrangements
調印後に握手をするイスラエル・ラビン首相とPLOアラファト議長。中央は仲介したビル・クリントン米大統領
通称・略称 オスロ協定
Oslo Accords
اتفاقية أوسلو
הסכמי אוסלו
署名 1993年8月20日
署名場所  ノルウェーオスロ
発効 1993年8月20日
締約国 イスラエル
パレスチナ解放機構(PLO)
主な内容 暫定自治政府の創設
条文リンク Israel-Palestine Liberation Organization Agreement
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オスロ合意(オスロごうい、英語: Oslo Accordsアラビア語: اتفاقية أوسلوヘブライ語: הסכמי אוסלו)は、1993年にイスラエルパレスチナ解放機構(PLO)の間で同意された一連の協定。オスロ1合意オスロ2合意などがある。

オスロ1合意は正式には暫定自治政府原則の宣言(ざんていじちせいふげんそくのせんげん、英語: Declaration of Principles on Interim Self-Government Arrangements)と呼称する。

概要

主に以下の二点が合意内容とされている。

  1. イスラエルを国家として、PLOをパレスチナの自治政府として相互に承認する。
  2. イスラエルが占領した地域から暫定的に撤退し、5年にわたって自治政府による自治を認める。その5年の間に今後の詳細を協議する。

対話から合意に至るまでの間、両者との関係が良好なノルウェー政府がこの成立に尽力した。ホルスト外相ら、政府関係者による交渉は、オスロあるいはその周辺で行われ、1993年8月20日の合意に至るまで内密に行われていた。

オスロ合意および後の協定で明文化されたイスラエルとアラブ国家の関係正常化の期待は未だ解決されていない[1]

オスロのプロセスは、2000年のキャンプ・デービッドにおけるアメリカを仲介としたバラック=アラファト会談の失敗と第2次インティファーダの勃発により終了した[2]

脚注

  1. ^ James Mackenzie (2023年9月14日). “アングル:険しさ増す中東和平、歴史的なオスロ合意から30年”. ロイター. 2023年10月30日閲覧。
  2. ^ OSLO PEACE PROCESS – Medea” (英語). 2024年1月22日閲覧。

関連項目

外部リンク


オスロ合意

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 10:10 UTC 版)

第2次インティファーダ」の記事における「オスロ合意」の解説

オスロ合意において、イスラエルガザ地区ヨルダン川西岸地区からの段階的な撤退約束しパレスチナ自治政府設立通して、これらの地域におけるパレスチナ権利確約した。その一方でPLO正式にイスラエル承認し避難地域における人口中心治安に対して責任を負うことを承諾した暫定的に5年間のパレスチナ自治認めその間恒久的合意について交渉することとした。しかし、現地現実により、両者ともにオスロ合意の和平プロセス失望することになり、お互いに失敗非難した締結から5年間で、パレスチナ人405人、 イスラエル人256人が亡くなった1996年以降イスラエルは、万が一和平交渉決裂備えて総称して"Musical Charm" と名付けられ緊急時対応策準備行った1998年、オスロ合意による5年計画完了しない結論付けイスラエル国防軍エリアCガザ地区一部占領するOperation Field of Thorns plan実行に移すべく、連隊級の軍事演習2000年4月行ったパレスチナ側の準備防御的小規模であり、イスラエルによる攻撃対処するより、地元民安心させるためのものだった作戦激しさにより、Zvi Fogel准将は、イスラエルの軍事的な準備自己達成的予言ではないか疑問思っていたという。 1995年イガール・アミル暗殺されイツハク・ラビン代わりシモン・ペレス就任した1996年の選挙ベンヤミン・ネタニヤフ右翼連立政権成立し1999年にはエフード・バラック労働党政権交代した

※この「オスロ合意」の解説は、「第2次インティファーダ」の解説の一部です。
「オスロ合意」を含む「第2次インティファーダ」の記事については、「第2次インティファーダ」の概要を参照ください。

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