パレスチナ‐じちせいふ【パレスチナ自治政府】
読み方:ぱれすちなじちせいふ
1993年のオスロ合意に基づいて設立されたパレスチナ人による自治機関。ヨルダン川西岸地区のラマッラに本部を置き、ガザ地区および西岸地区の約40パーセントを管轄する。独立国家の樹立を目指しているが、東エルサレムの帰属やパレスチナ難民の帰還などをめぐって隣接するイスラエルとの間で緊張関係が続いている。国連加盟国の多くの国がパレスチナを国家として承認しているが、日本や欧米諸国は未承認。2012年12月、国連オブザーバー国家の地位を獲得。パレスチナ暫定自治政府。PA(Palestinian Authority)。PNA(Palestinian National Authority)。

パレスチナ自治政府(ぱれすちなじちせいふ)
パレスチナ自治区はイスラエルの首都、エルサレムの東側にある。パレスチナ人19万人が居住している。パレスチナ人はアラブ系の民族で、イスラム教の教徒だ。
パレスチナには、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の三つの聖地が重なっている。たとえば「嘆きの壁」(ユダヤ教の聖地)や「岩のドーム」(イスラム教の聖地)、「イエスの生誕地」(キリスト教の聖地)など、宗教的な聖地がたくさんあるので有名だ。
地理的には、ガザ地区とヨルダン川西岸の約40%がパレスチナ自治区だ。ここはイスラエルの主権が適用されないため、自治区と言われる。ここではパレスチナ自治政府が行政権や警察権を行使する。ガザに本部があり、行政の長はアラファト議長だ。
パレスチナ自治区は、イスラエルとの合意に基づき、イスラエルからエルサレムの東側を分割する形で成立した。ところが、いまだにパレスチナとイスラエルは、領土争いの決着がついていない。
パレスチナは「西エルサレムもほしい」ということを言っている。これに対しイスラエルは、ミサイル攻撃を含む強硬鎮圧に出ている。イスラエル軍とパレスチナ軍は衝突を繰り返し、各地で死者や負傷者が出ている。
(2000.10.14更新)
パレスチナ自治政府
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/23 01:01 UTC 版)
パレスチナ自治政府 | |||
---|---|---|---|
アラビア語: السلطة الوطنية الفلسطينية | |||
![]()
パレスチナの国旗
|
|||
概要 | |||
創設年 | 1994年 | ||
対象国 | ![]() |
||
政庁所在地 | ラマッラー | ||
代表 | 大統領 | ||
機関 | |||
立法府 | 立法評議会 | ||
|
パレスチナ自治政府(パレスチナじちせいふ、アラビア語: السلطة الوطنية الفلسطينية, as-Sulṭa al-Waṭanīya al-Filasṭīnīya、英語: Palestinian National Authority, Palestinian Authority、公式にはパレスチナ国[1])は、ヨルダン川西岸地区の一部を統治するパレスチナ人による政府である。1994年にパレスチナ解放機構(PLO)とイスラエルのオスロ合意に基づき、独立したパレスチナ人の国家となるべく設立された。
パレスチナ自治政府の「事実上の首都」はラマッラー[2]。一方、パレスチナ自治政府の基本法によると、パレスチナ自治政府の「名目上の首都」は東エルサレムと規定されている。
互いに飛び地になっている2地区のうち、ガザ地区は2007年にハマースの実効支配下となった[3]。ヨルダン川西岸にはユダヤ人入植地が多数つくられたままで[4]イスラエル国防軍が活動しており、パレスチナ自治政府の権力は制約されている[5][6]。パレスチナ人民からはイスラエルと結託した腐敗組織とみなされており、支持されていない[5][6]。2023年3月の調査によれば、パレスチナ人の63%はパレスチナ自治政府は「パレスチナ人にとって障害である」と考えている[5][7]。
2023年パレスチナ・イスラエル戦争発生後においても、イスラエルとの和平によるパレスチナとの2国家共存、ガザ地区統治への関与回復を掲げている[3]。
歴史
パレスチナ自治政府はオスロ合意により、1994年に設立された。自治政府が安全保障と文民統制を管轄する都市区域(エリアA)、文民統制のみ行なう辺境区域(エリアB)がある。残りの地域のユダヤ入植地、ヨルダン谷、及びパレスチナ地区を結ぶバイパス道路はイスラエル管轄区域(エリアC)である[8][出典無効]。
発足当初の1996年の第1回総選挙ではヤーセル・アラファートが88.2%の得票率で初代大統領に選出され[9]、アラファート率いるファタハが立法評議会選挙で定数88議席のうち55議席を確保して政権を運営していたが、縁故採用や汚職が相次いだことで徐々に支持を失い、アラファート死後の2006年に実施した2回目の総選挙ではハマースが第1党となった。アラファートの後継者として大統領に就任したファタハ議長のマフムード・アッバースとハマースの内閣は度々対立し、2006年にガザ地区でファタハとハマースの武装組織が衝突し、ハマースはガザを武力制圧した。アッバースはハマースのイスマーイール・ハニーヤを首相職から解任したが、ハニーヤは拒否し、ハマースが支配するガザ地区とファタハが支配するヨルダン川西岸地区は2007年以降分裂状態となっている[10]。
イスラエルを含む多くの国家が西岸地区の自治政府を承認した一方、イランやシリア、スーダンはガザ地区の自治政府を承認した。
2012年11月29日には国連総会においてパレスチナ解放機構を「オブザーバー組織」から「オブザーバー国家」に格上げする決議案が賛成多数で承認され、国連では「国家」の扱いを受けることとなった[11]。それを契機とし、2013年1月3日、マフムード・アッバース大統領は公式文書においてパレスチナ国という名称を用いるよう命令した[1]。
2014年に分裂状態が解消され同年6月2日暫定統一政府が発足した(首相は西岸側のラーミー・ハムダッラーが続投)[12]。しかし暫定統一政府は長続きしなかった[13][14]。
政治
元首は大統領で任期4年、パレスチナ人による直接選挙で選出される。
立法機関はパレスチナ立法評議会である。定数132名で任期は4年、大選挙区制を採用している。
行政機関は、首相率いる内閣が組織する。任免権は大統領にある。
主な政党
- ファタハ:中道左派、対イスラエル穏健派
- ハマース:イスラーム主義、対イスラエル強硬派(現在は1967年の停戦決議⦅安保理決議242⦆に基づく国境線を容認する姿勢を見せている。イスラエル承認は拒否の構え)
- パレスチナ解放人民戦線(PFLP):極左、共産主義、対イスラエル強硬派(PLO内反主流派最大勢力)
- パレスチナ解放民主戦線(DFLP):左派、共産主義
- パレスチナ人民党:共産主義、対イスラエル穏健派
など
地方行政区分
経済
住民
脚注
- ^ a b “Palestinian Authority rebrands itself 'State of Palestine' after U.N. vote”. CNN.com. CNN. (2013年1月8日) 2019年1月30日閲覧。
- ^ Palestinianbasiclaw.org[リンク切れ]
- ^ a b パレスチナ自治政府・アッバス議長単独会見:ガザ統治へ新政府構想 和平実現「国際会議を」『朝日新聞』朝刊2024年2月22日1面・2面・11面(2024年3月2日閲覧)
- ^ 「米政府、ヨルダン川西岸の過激派入植者に制裁 ビザ発給禁止」BBC(2023年12月6日)2024年3月2日閲覧
- ^ a b c “What is the Palestinian Authority and what is its relationship with Israel?”. Al Jazeera (2023年10月11日). 2023年10月23日閲覧。
- ^ a b “Are We Witnessing the End of the Palestinian Authority?”. BESA Center (2023年5月23日). 2023年10月23日閲覧。
- ^ “Public Opinion Poll No (87)”. Palestinian Center for Policy and Survey Research (2023年3月8日). 2023年10月23日閲覧。
- ^ Wikipedia英語版
- ^ Central Elections Commission (CEC), Results of first General election, 1996. Here available Archived 2018-02-02 at the Wayback Machine.
- ^ “第66号 2023年版 令和5年版 外交青書 第2章 地域別に見た外交 2 中東地域情勢”. 外務省 (2023年6月23日). 2024年5月5日閲覧。
- ^ 中山真 (2012年11月30日). “国連、パレスチナ「国家」格上げ決議 米など反発”. 日経ビジネス 2014年5月6日閲覧。
{{cite news}}
: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ) - ^ “パレスチナに統一内閣発足”. 産経新聞. (2014年6月3日) 2014年6月17日閲覧。
- ^ “Fatah-Hamas reconciliation: 15-year-old Palestinian split”. France24 (2022年10月14日). 2024年5月29日閲覧。
- ^ “Palestinian factions sign reconciliation agreement in Algeria”. Al Jazeera (2022年10月13日). 2024年5月30日閲覧。
関連項目
外部リンク
- السلطة الوطنية الفلسطينية[リンク切れ]:公式サイト
- パレスチナ概況:日本国外務省
- パレスチナ自治政府:日本国外務省
- 駐日パレスチナ常駐総代表部:パレスチナ自治政府の政府代表部
パレスチナ自治政府
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 04:45 UTC 版)
詳細は「パレスチナ自治政府」を参照 1993年の中東和平「オスロ合意」に続く1994年のガザ・エリコ暫定自治合意(カイロ協定)によって、ヨルダン川西岸地区の一部と共にパレスチナ自治政府の統治下に置かれた。治安はパレスチナ政府の治安部隊および市民警察軍によって維持されているが、現在も航空管制権と沿岸航行権はイスラエルが保持している。1998年、ガザ国際空港が開港したが、2001年にイスラエルにより破壊された。 また、自治政府発足後も、入植者保護の為にイスラエル軍が駐留し、しばしば空爆を行っていた。2004年には、アリエル・シャロン首相のアドバイザー、アルノン・サフェル (Arnon Soffer) は「一発のミサイルには十発のミサイルをもって応じる。女性や子どもも死ぬだろう。女性たちが夫にもうカッサム(ロケット弾)を使わないように懇願するだろう。ガザに閉じこめられた250万人は、イスラム原理主義者に影響され、恐ろしい戦争になる。もし我々が生き残りたいならば、彼らを一日中、毎日、殺し、殺し、殺し続けなければならない」と発言している。 2005年8月までにイスラエルは全てのユダヤ人入植地を撤去、9月には全陸軍部隊をガザ地区から撤退させた(ガザ地区撤退計画)。しかし、直後にイスラーム過激派ハマースが選挙で勝利してパレスチナ政府の与党の座に就くと、イスラエルは態度を硬化した。 2006年6月末にはハマース系武装勢力に拉致されたイスラエル兵士(ギルアド・シャリート)1名を救出するため、戦車隊を含む陸軍が侵攻した(ガザ侵攻 (2006年))。その後もハマースによるイスラエルに向けた攻撃とイスラエルによる攻撃は断続的に続いている。 また、検問所はイスラエルとエジプトの管理下にあり、ガザ地区は事実上イスラエルに封鎖されている。ガザ地区の住民は、原則としてこの地区から自由に外に出ることはできない。が、ハマース等のイスラーム過激派による武器密輸が行われ、対イスラエルに対する攻撃の拠点となっている。それに対応するためにイスラエル軍による空爆はその後も続き、2008年12月に大規模な空爆を伴う地上侵攻が開始され、多数の死傷者が出ている(ガザ紛争 (2008年-2009年))。
※この「パレスチナ自治政府」の解説は、「ガザ地区」の解説の一部です。
「パレスチナ自治政府」を含む「ガザ地区」の記事については、「ガザ地区」の概要を参照ください。
「パレスチナ自治政府」の例文・使い方・用例・文例
- パレスチナ自治政府のページへのリンク