パレスチナ紛争とホロコースト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 16:32 UTC 版)
「デズモンド・ムピロ・ツツ」の記事における「パレスチナ紛争とホロコースト」の解説
もし応報的正義のことしか考えないなら、私たちは身動きできなくなってしまうだろう。赦しは何か曖昧模糊としたものではない。それは現実的な政策なのである。赦しなくして未来無し。 赦しなくして未来無し ツツはまた、パレスチナ紛争について意見を述べた。1989年にニューヨークで、彼はイスラエル国家を建設した神をたたえ、「領土の保全と、その存在を否定する人々からの攻撃に対する基本的な防衛」の権利があることを主張した。彼はカイロで、パレスチナ解放機構の指導者ヤセル・アラファトを訪問し、彼にイスラエルの存在を認めるよう促した。同時に彼はイスラエルがアパルトヘイト時代の南アフリカに武器を供給したことに怒りを表明し、ユダヤ人国家が如何にしてナチス同調者が多数いる政府と共同することができたのか、と困惑を表明した。ガザとヨルダン川西岸地区のイスラエル占領地(英語版)に言及し、それが南アフリカのアパルトヘイトの状況の「深く、深く、悲惨な」相似であると述べた 。彼は明確なパレスチナ人国家の形成を呼びかけ、自身の批判の重点はより広い意味でのユダヤ人グループではなく、イスラエル政府に向けたものだと強調した。パレスチナ人の主教サミル・カフィティ(英語版)の招待を受け、ツツはエルサレムにクリスマス巡礼をすることを引き受け、ベツレヘム近郊のシェパーズ・フィールド(Shepherd's Field)で説教を行い、2国家共存解決 (Two-state solution) を呼びかけた。その旅程で、彼はまたヤド・ヴァシェムのホロコースト記念館を訪問して献花し、ジャーナリストに許しの重要性について語った。ツツがホロコーストを行った人々への赦しを呼びかけたことは、彼がパレスチナ国家を支援していることと相まって世界中の多くのユダヤ人グループから非難された。このことは、反ユダヤ主義の疑いを免れようと「私の歯科医はコーエン博士だ」などの発言をしたことで更に悪化した。 ツツは、ホロコーストに対する赦しの重要性をその後も説いており、『赦しなくして未来なし(No Future without Forgiveness)』と題する1999年の著作においても、ユダヤ人の心情に理解を示しつつも、未来のために異なる道を模索することを呼びかけている。また、ホロコーストにおいて「殺されてしまった人の代わりに他人が赦す権利などない」とする反論に対し、その意見の正当性を認めつつも、生き残ったユダヤ人が死者に代わってナチを赦せないなら、なぜ死者が受け取るべき賠償金を代わりに受け取っているのか、とユダヤ人の取り組みの矛盾をも指摘した。
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