1996年の選挙
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「ヨウェリ・ムセベニ」の記事における「1996年の選挙」の解説
1996年5月9日大統領選挙が行われ、ムセベニは72.6%の投票率において75.5%の得票で超党派勢力連合のポール・セモゲレレと新人のモハメド・マヤンジャに勝利した。内外の選挙監視団は、投票の有効性を認めたが、敗北した候補者達は選挙結果を拒絶した。1996年5月12日ムセベニは再び大統領に就任した。 ムセベニの選挙戦における主な武器は国土の大部分での治安と経済の回復だった。彼の選挙対策本部が用いた忘れ難い選挙用のイメージはルウェロ三角地帯での頭蓋骨の山を表現していた。この領域の住民は内戦の間に苦しめられたこの強力なシンボリズムを忘れることはできなかった。他の候補は主要な訴えをムセベニのそれに匹敵させようと苦労した。ムセベニは特に南部出身者に対して地域の言語を使用することで政治的な訴えを広める目覚しい能力を持っていると思われた。ムセベニは「指導力に磨きをかける」との表現を用いて「権威の重荷を担う威厳のある人物」であるように自らを演出した。彼は適切な地域の口語的な言語で尊重の意思と部族政治を超えることを示す目的で英語、ガンダ語、ニャンコレ語、スワヒリ語を流暢に用いた。 大統領選に至るまで、セモゲレレは NRM政権で大臣を務めていた。ムセベニの「抵抗運動」に対する分け前を主張するよりもムセベニと NRM に挑戦することを選んだ彼の判断は繊細な日和見主義と看做され、政治的な過ちとして扱われた。バガンダにとってUPCとセモゲレレの同盟は呪いだった。そうでなければ、バガンダは民主党の指導者である彼を何らかの形で支援しただろう。またセモゲレレはムセベニがルワンダ人だと主張した。同様の主張は、彼の出生地がウガンダ=ルワンダ国境に近く、民族的にもアンコーレ族がルワンダ人と近いこと、彼の軍で現ルワンダ大統領のポール・カガメを含むルワンダ人が支配的であったこと等により批判者から繰返し主張された。
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