1996年の群発地震とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 1996年の群発地震の意味・解説 

1996年の群発地震

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 14:57 UTC 版)

ロイヒ」の記事における「1996年の群発地震」の解説

主要な火山活動西暦摘要1996 1996年初に噴火した形跡、夏、大規模な群発地震良好な記録が残る。1996年2月25日開始し同年8月9日までには終息1991 最近群発地震追跡するために海山設置されているOBO自律的大洋底観測所)が、山体収縮している兆候集めたマグマ地下深くへの収縮によると推定1986 噴火可能性1986年9月20日1日限り)。 198485 M3以上の9回の事象1984年11月11日から1985年1月21日にかけて、3.0から4.2地震記録された。おそらく噴火した思われる詳細不明1975 1975年8月24日から同年11月にかけて、際立った群発地震。 1971–72 1971年9月17日から1972年9月にかけて噴火した可能性あり。噴火詳細について判っていない。 1952 1952年ロイヒ起こった群発地震により初めてこの火山科学的関心向けられた。その以前にはロイヒ死火山であろう考えられていた。 50 BC± 1000 記録から確認され古代噴火5050 BC± 1000 記録から確認され古代噴火。 7050 BC± 1000 確認され古代噴火東側山腹活動した見込みが最も有力。 この表では、噴火した可能性のある事象、および、主要な噴火事象しか記載していない。ロイヒ複合的な群発地震がほぼ年2回を基本として起こる場所でもある。 ロイヒ記録され最大規模活動は、1996年7月16日から同年8月9日にかけての群発地震、その数4070回を数えたものであった。この一連の地震は、現在までにハワイにある火山取られ地震記録の中で揺れ強烈さ回数双方において最強クラスのものだった。ほとんどの地震モーメント・マグニチュードにしてM3.0未満規模であったマグニチュード3.0上のものは数百回、その中で40回以上がM4.0以上であり、M5.0を記録した微動もあった。 群発地震最後2週間1996年8月発足したクイック・レスポンス・クルーズ(quick response cruise)によって観測されていた。アメリカ国立科学財団は、ハワイ大学フレデリック・K・ドゥエネビアー(Frederick K. Duennebier)率い科学者チームによる探査学術調査航海)のために研究費交付した。この学術航海は、ロイヒ試料採取火山活動解明目的とし、1996年8月から続いた一連の群発地震及びその起源徹底的に調べるためにはじめられた。科学者たち想定は、研究大半占め何回となく繰り返され学術航海構成されまた、仮説の裏付けとなったフィールドワーク基礎置いていた。ロイヒ対す追跡調査が行われた。その中で8月9月有人潜水艇パイシーズ号の投入行われたこれ等調査は非常に多く海岸基本とした研究により、不足した箇所増補された。調査航海の間に採集され新鮮な岩石により、群発地震のおこる以前噴火起こっていたことが明らかになった。 8月実施され潜水調査は、1996年9月から10月にかけてNOAA資金援助した研究から支援された。これらの細部わたった研究で、現状ではロイヒ山頂南端陥没していることが明らかにされた。火山自体からマグマ溜まりへと火道満たすマグマ急速に後退したこと、および、群発地震との両方によって引き起こされたものであろう考えられている。差し渡し1 km (0.6 mi)、深さ300 m (1,000 ft)の火山岩塊でできた山頂火口作られた。この1996年イベント100 million立方メートル火山噴出物流出伴っていた。山頂にある10 km2 (3.9 sq mi)から13 km2 (5.0 sq mi)の領域が、バス並み大きさ枕状溶岩置き換えられ、岩の塊がごろごろしさながら海中ガレ場様相呈していた。巨岩新たに形成され火口外縁一帯不安定な状態で留まっていた。1996年イベント緊急調査する以前山頂南端にあるこの場は、「ペレ噴出口」("Pele's Vents")と呼ばれた熱水噴出領域熱水フィールド)があり、安定して長期間わたって存在するだろうと考えられていた。しかし、そこは、完全に崩落陥没して巨大な窪み形作り地名を「ペレ火口」("Pele's Pit")に改められた。海底火山南端にできたばかりのピット・クレーターに海水流入し遊離した無機塩類バクテリア代謝物混じり合いロイヒ山頂の西縁から流れ出していた。その結果できる流速が非常に強い海流は、この海域への有人潜水艇による調査を非常に危険なものにしていた。 研究員たちは、噴煙のような硫化物硫酸塩濁り絶え間なくもうもうと立ち込めているのに遭遇したペレ噴出口が突然崩壊してしまったことで、熱水噴出口生成物(hydrothermal material)が莫大放出されていた。混合物中に或る特定の指標鉱物存在は、熱水温度摂氏250度を超えてしまったことを示唆していた。この記録海底火山見つかった熱水噴出口水温の現在まで残る最高記録である。ロイヒ熱水含まれている物質構成は、ブラックスモーカーから出てくる熱水構成する物質と同じであったブラックスモーカーとは、中央海嶺周囲にある熱水噴出口一種であり、濁った熱水を、あたかも工場銭湯煙突から吐き出す黒煙のように噴出しつづけるものである熱水噴出口からの物質堆積してマウンドようになった小山から得られサンプルホワイトスモーカーから得られサンプルとよく似ていた。 いくつかの研究火山学的にも熱水活動的にも一番活発な地域は南リフト・ゾーン沿いに所在する事を論証してみせた。それほど活動的ではない北縁での潜水調査において、その地域での微小地形はやや安定していて柱状節理発達していることが判った新たにできた熱水フィールド(Naha Vents:「ナハ・ベント」)はアッパーサウス・リフトゾーン(upper-south rift zone)の深さ1,325 m (4,350 ft)の場所に位置していた。

※この「1996年の群発地震」の解説は、「ロイヒ」の解説の一部です。
「1996年の群発地震」を含む「ロイヒ」の記事については、「ロイヒ」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「1996年の群発地震」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「1996年の群発地震」の関連用語

1
4% |||||

1996年の群発地震のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



1996年の群発地震のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのロイヒ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS