イラクの支配
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 03:43 UTC 版)
「ムフタール・アッ=サカフィー」の記事における「イラクの支配」の解説
ムフタールの反乱に対する支持はアラブ部族の支配層とマワーリーという二つの異なる集団から成り立っていた。当初、ムフタールは双方の集団間の対立を仲裁し、両者を宥めようとした。モースルとアル=マダーインの総督を含むほとんどの政府の要職はアラブ人に与えられた。一方、それまで下層民として扱われていたマワーリーは戦利品と軍の俸給を受け取る資格を与えられ、馬に乗ることも認められた。ムフタールは自身の下に加わった多くのマワーリーの奴隷を解放すると宣言し、その結果マワーリーからの支持が増加した。ムフタールの護衛にはアブー・アムラ・カイサーン(英語版)に率いられたマワーリーも配属されていた。しかし、アラブ人の支配層はマワーリーに対するムフタールの政策に動揺した。この段階でムフタールはイラクのほとんどの地域とその統制下にあったアルミニヤ(英語版)、アーザルバーイジャーン、ジバール(英語版)、およびジャズィーラの一部を支配していた。しかしながら、イブン・アッ=ズバイルの支配下にあったイラク南部のバスラを奪うためのムフタールの支持者たちによる努力は成功しなかった。この頃までに西方ではウマイヤ朝のカリフのアブドゥルマリク・ブン・マルワーンがシリアにおける権力を掌握し、失われた地域の支配権の回復に乗り出していた。
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