メソポタミアへの支配の拡大とアレッポをめぐる争いとは? わかりやすく解説

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メソポタミアへの支配の拡大とアレッポをめぐる争い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/04 21:03 UTC 版)

サーリフ・ブン・ミルダース」の記事における「メソポタミアへの支配の拡大とアレッポをめぐる争い」の解説

サーリフ新たに確立した権力利用してアレッポそれぞれ東と南東位置するユーフラテス川方面マンビジュバリス英語版)の町を占領した。これらの町の征服とラフバの支配によって、サーリフは後のミルダース朝の版図となるメソポタミア北部一部支配権確立した。この要衝となる地域農業商業、そして戦略面での価値高くサーリフビザンツ帝国東ローマ帝国)、ファーティマ朝、そしてイラクの支配者の間の連絡仲介するようになった。その一方でマンスール自分の娘とサーリフ結婚やキラーブ族にアレッポ歳入分け与えることを含む約束のほとんどを反故したために、サーリフマンスールの間の合意破綻したサーリフアレッポ包囲攻撃することで報復し、さらにキラーブ族とベドウィン協力者地方略奪したマンスールビザンツ帝国介入訴えビザンツ皇帝バシレイオス2世在位976年 - 1025年)に対し、もしサーリフ放置したままにすればベドウィン暴動ビザンツ帝国領内広がる可能性があると警告したバシレイオス2世はこれに応じて1,000人のアルメニア人からなる救援部隊派遣したが、サーリフマンスール背信行為バシレイオス2世伝えビザンツ人に対す友好関係誓約しビザンツ軍を撤退させた。しかし、ザッカールはバシレイオス2世自国隣接しているキラーブ族とその近縁者の勢力であるヌマイル朝(英語版)からのベドウィン襲撃避けるためにこれらのサーリフ活動黙認していたという可能性もあると指摘している。ビザンツ軍の撤退マンスール立場をさらに弱めサーリフ立場強化したサーリフバシレイオス2世への忠誠を示すために息子一人コンスタンティノープルへ派遣した1016年1月アレッポ城塞司令官であるファトフ・アル=カルイー(英語版)が反乱起こしてサーリフアミール政権支持しファーティマ朝カリフであるハーキムアレッポへの宗主権認めたために、マンスールアレッポから逃亡しアンティオキア亡命したアレッポ年代記作者によれば反乱サーリフ連携して実行されサーリフアレッポ歳入取り分回復しマンスール母親と妻、そして娘たち保護したサーリフはすぐに保護した女性たちマンスールの下へ送ったが、以前取り決めに従ってマンスールの娘と結婚するために娘の一人手元残したマンスール追放その後シリア北部における混乱受けてバシレイオス2世シリアエジプト対すすべての通行交易停止させたが、サーリフバシレイオス2世説得してアレッポとキラーブ族をこれらの制裁対象から除外させた。ファトフアレッポ対す支配維持するためにアリー・アッ=ダイフ統治するアファーミーヤ(英語版)からファーティマ朝部隊招き入れたハーキムサーリフにアサド・アッ=ダウラ国家獅子)のラカブ尊称)を授け、アリー・アッ=ダイフ協力するように要請した。しかし、サーリフアレッポへのファーティマ朝軍の駐留反対し、ファトフ城塞支配してキラーブ族が都市支配するという取り決め提案したファトフ好意的な反応示したが、アレッポ住民ハーキムによる各種免税措置享受しベドウィンによる支配反対していたために噂となったこの取引抗議してファーティマ朝による支配確立要求したハーキムファトフティールへの転出強要しアレッポ増援部隊派遣した。この出来事によってサーリフアレッポ奪取阻止されることになったそれでもなおマンスール逃亡ファーティマ朝不安定な統治メソポタミア北部における支配の強化可能にした。サーリフ自身政府部族宮廷構え早くも1019年にはミルダース朝の著名なパネジリスト(英語版)(称賛者となったアラブ詩人のイブン・アビー・ハスィーナ(英語版)が訪れた。 その一方でハーキム1017年アレッポ総督としてアルメニア人グラームであるアズィーズ・アッ=ダウラ英語版)を任命したアズィーズサーリフ友好関係築きサーリフ母親アレッポに住まわせて関係を強化したアズィーズ5年間の統治期間中におけるサーリフ活動について史料での言及みられない。ザッカールによれば、これはサーリフこの期間を通して要求満たされ満足し続けていた」ことを示している。ファーティマ朝戦い挑める程の規模ではなかったものの、サーリフアズィーズからキラーブ族に対すアレッポ周辺平原地帯支配権与えられた。1022年までにサーリフ支配地をユーフラテス川沿いの双子の町であるラッカとラーフィカにまで拡大した。事の真偽は明確ではないが、同じ年の7月アズィーズトゥルク人グラームであるアブル=ナジュム・バドル(英語版)によって暗殺されバドル短期間アズィーズの後を継いだその後アレッポ短期間での総督の交代が相次ぎ最終的にスウバーン・ブン・ムハンマド(英語版)が都市総督となり、マウスーフ・アッ=サクラビーが城塞支配した

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