メソポタミアの再統一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/17 06:25 UTC 版)
紀元前1792年、ハンムラビはバビロン第1王朝の第6代目の王となった。当初はイシン、ラルサ、マリといった当時メソポタミアに覇を競った大国間に挟まれ、北方のアッシリアにシャムシ・アダド1世、南方のラルサにリム・シン1世が健在であった。ハンムラビは弱小国の王であったが北方のアッシリアと同盟し、次第に頭角を現した。ハンムラビは紀元前1784年頃までに、南のラルサ王のリム・シン1世からイシンを奪い、ティグリス川を渡り、この辺の主要都市マルグムを征服した。西では、ユーフラテス川流域のラピクムを占領。紀元前1764年にラルサを併合し南方の諸都市を征服してバビロンを拡張し、紀元前1759年にはマリを破壊してマリ争奪戦に決着をつけた。 紀元前1757年頃、アッシリアへ出兵して征服し、メソポタミア地方を統一した。都市国家バビロンがシュメール及びアッカドの地を再統一したことにより、シュメール及びアッカドの地の王の地位を獲得した。統一されたこの地域はバビロニアとも呼ばれるようになった。
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