メソポタミアの建築
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 05:41 UTC 版)
メソポタミアでは、古代以来のバビロニアの建築と、多数入植していたギリシア人たちの建築が継続していた。バビロニアの住居建築についての情報は少ないが、セレウキアやドゥラ・エウロポスではギリシア人たちの建築が1世紀前半まで、気候的条件によるわずかな変化を除いて継続していたことがわかる。その後、現地のローカルな建築の原理が融合し、またイラン系の建築の若干の影響の下に徐々に新しい様式に変化した。 宗教建築においては、セレウコス朝時代まではギリシアとバビロニアの建築は互いに重大な影響を与えることなく存続していたことがわかっている。ウルクで発見されたアヌとイシュタルの神殿は、典型的なバビロン様式の神殿であり、ドゥラ・エウロポスで前3世紀に建てられたアルテミスとアポロンの神殿は完全にギリシア的である。パルティア人の到来と共に、バビロニアの神殿建築とギリシアの神殿建築は(前者の優越の下)融合を始め、新しいタイプの建築のバリエーションを生み出した。
※この「メソポタミアの建築」の解説は、「パルティア」の解説の一部です。
「メソポタミアの建築」を含む「パルティア」の記事については、「パルティア」の概要を参照ください。
- メソポタミアの建築のページへのリンク