イラクへの侵攻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 18:42 UTC 版)
詳細は「イラク戦争」を参照 ターリバーン政権を打倒した後もインドネシアのバリ島やテロ事件などが続き、またアルカーイダの指導者であるウサーマ・ビン・ラーディンも10年近く行方がわからなくなり(2011年5月2日にアメリカ軍により殺害)、テロリズムの脅威はなくならなかった。対テロ戦争は続き、2002年1月29日の一般教書演説ではイラク、北朝鮮、イランなどを名指しして「悪の枢軸」と発言した。核開発疑惑をめぐってはイラクのフセイン政権への敵視を強める。 テロリストが入手可能なイラクの大量破壊兵器について国際原子力機関がイラクを調査し、そのような疑惑は否定される。しかしアメリカはその報告を認めず、2003年3月19日にイラク戦争を開始してフセイン政権を倒すが、大量破壊兵器は発見されなかった。イラク戦争によってフセイン政権が打倒されると、イラクでは抑圧の重石がなくなった事も災いして部族、民族、宗派をめぐる対立が激化し、治安が急速に悪化する。2004年7月、サッダーム・フセイン元大統領はイラクの裁判所に起訴され、2006年12月に死刑判決を受け執行された。
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