ゴルバチョフと日本
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「ミハイル・ゴルバチョフ」の記事における「ゴルバチョフと日本」の解説
妻との初めてのデートは日本のコーラスグループ、ロイヤルナイツのコンサートであったと五木寛之に語っている。また、初来日の際、鯉のぼりを見て非常に驚いたというエピソードがある。書記長・ソ連大統領時代の1991年4月16日 - 19日には日露(日ソ)会談のため来日、海部俊樹首相(当時)や元外務大臣の安倍晋太郎と会談を行っている。この時同伴したライサ夫人の銀座での買い物シーンがテレビを通じて報道され、ソ連国内で「国民が経済不調で苦しんでいるのに」と不評を買った。 政界引退後は各種団体やマスコミなどの招きで頻繁に来日し、そのつどテレビ番組などに出演しているほか、地方都市にも足を伸ばし、講演会なども催している。1993年4月には創価大学、大阪工業大学の両校で講演を行い、同年の創価大学と2003年11月には日本大学より、それぞれ名誉博士号を授与され、同年および2005年5月の2度にわたり日本大学にて講演を行った。2005年6月に来日した折には、徹子の部屋に出演(同年7月5日放送)。また、同年12月にも再び来日し、12月24日放送の日本テレビ系のバラエティー番組『世界一受けたい授業』に講師として出演。同番組内の講義の中で「日本には毎年何回も来ており、正確な来日回数は自分でも分からない」と述べている。同番組では2003年に勃発したイラク戦争開戦当時は丁度来日していて、一般乗客として山手線に乗車していた最中にニュースを聞いて初めて知ったと述べている(なお、同番組ではアメリカ軍のイラクへの侵攻を「政治的な大きな誤り」であると批判した)。ちなみにこの番組には生徒役(ゲスト)として、当時の小泉純一郎首相の長男で俳優の小泉孝太郎が同席しており、同年9月に行われた第44回衆議院議員総選挙(郵政解散)を高く評価した。また、沖縄県知事の翁長雄志と何度も面会したことがあり、2018年に翁長が死去した際には地元紙の琉球新報に追悼メッセージを寄稿した。 このほかに来日こそしていないものの、2006年の24時間テレビのCMに出演しメッセージを送っている。2014年3月28日の『笑っていいとも』(金曜日最後の放送分)の「テレフォンショッキング」で黒柳徹子が出演した際は、ゴルバチョフ財団の名義で花を贈っている。 2009年12月の来日では鳩山由紀夫首相(当時)と会談したほか、1990年より親交のある創価学会の池田大作名誉会長とも対談した(対談内容は潮出版社発行の雑誌『潮』に全文が掲載)。このほかに明治大学で学生との対話集会を催し、その模様が同月および2010年1月に「ゴルバチョフ 若者たちとの対話」としてNHK衛星第1にて放送された。また、『世界一受けたい授業』の2010年新春スペシャルの収録にも講師として再び出演した(『世界一受けたい授業』2010年新春スペシャルは2010年1月2日に放送)。 2010年2月にも再来日し、関西テレビ・フジテレビ系列のバラエティー番組『SMAP×SMAP』の「BISTRO SMAP」にゲストとして出演し、ソ連時代の自分の周囲の出来事をSMAPリーダーの中居正広に語っていた。 演説集を出版するなど、読売新聞とは関係が深く、日本テレビ系列の番組に多く出演しているのもその繋がりである。また、創価学会の池田大作名誉会長とは1990年7月27日にクレムリンで行われた初めての会談を皮切りに来日時には毎回面会している。逆に池田名誉会長がロシアを訪問する際にも面会し、ほぼ毎回対談しており、面会・対談の様子は『潮』や聖教新聞社発行の写真雑誌『グラフSGI』などに掲載されている。 日本大学名誉博士・明治大学名誉博士・創価大学名誉博士などの名誉学位を有する。
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