ゴルバチョフ訪中とは? わかりやすく解説

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ゴルバチョフ訪中

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 01:25 UTC 版)

六四天安門事件」の記事における「ゴルバチョフ訪中」の解説

このような状況下で、5月15日には「改革派」として世界的に知られソビエト国内改革進めていたミハイル・ゴルバチョフ書記長が、冷戦時代1950年代より続いていた中ソ対立終結表明するために、当初の予定通り北京公式訪問した。 中国共産党は、ゴルバチョフ鄧小平共産党首脳部との会談通じて中ソ関係の正常化確認することで、「中ソ間の雪解け」を世界向けて発信しようとして綿密に受け入れ準備進めていたが、天安門広場はじめとする北京市内の要所要所民主化求めデモ隊溢れており、当局による交通規制を行うことが不可能な状況になっていた。 このためゴルバチョフ一行市内移動にさえ支障来したばかりか天安門広場での歓迎式典中止されるなど、多く公式行事中止になった開催場所を変更しておこなわれることとなったゴルバチョフ会見臨んだ趙紫陽当日人民大会堂での会見記者前に、 “鄧小平同志1978年十一三中全会以来,是国内外公認的我們党的領袖。儘管在十三大根据他的請求,他退出中央委員会退出政治和常委会,但是我們全黨都知道,我們離不開他,離不開他的智慧經驗。我告訴你一个秘密,在十三一中全会有一个正式的决定,雖然這个决定没有公布,但是它是一个很重要的决定,就是說,我們在最重要問題需要他掌舵。”鄧小平同志1978年第11期三中全会より国内外認める我々の党の指導者だ。第十三回党大会における彼の要求に基づき中央委員会政治局政治局常務委員会からは退いたが、我々全党は彼から、彼の知識経験からは離れられないことを知っている1つ秘密話そう。第13一中全会では正式な決定行っている。これは公布していない重要な決定だ。つまり、我々は最も重要な問題において彼の指導を必要とするというものだ。[要出典] と「最終決定権鄧小平にある」ことを明かしたが、学生たちの矛先鄧小平向けたとして、第13期4中全会で「罪状」に数えられることとなった外国メディアの報道多くは、自国民主化進めゴルバチョフ訪中と、中国における一連の民主化運動絡めたものになったまた、デモ隊多くゴルバチョフを「改革派一員」「民主主義大使」として歓迎する一幕報道されるなど、この訪中受けて両国間の関係が正常化されることとなったが、結果的に中国共産党メンツが完全に潰される結果になったゴルバチョフは、この様結果になることを予想してあえて訪中時期変更せず、また中国共産党ゴルバチョフ訪中予定日をあえて変更しないことで、長年対立してきたソ連対すメンツを保つとともに国内の「平静」を内外アピールしようとした狙いがあったと言われている。ゴルバチョフは、当初の予定通り5月17日北京首都国際空港から帰国した

※この「ゴルバチョフ訪中」の解説は、「六四天安門事件」の解説の一部です。
「ゴルバチョフ訪中」を含む「六四天安門事件」の記事については、「六四天安門事件」の概要を参照ください。

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