ゴルバチョフとの権力闘争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/29 03:08 UTC 版)
「グリゴリー・ロマノフ」の記事における「ゴルバチョフとの権力闘争」の解説
ソ連共産党においては、政治局員と書記を兼務している者が書記長に就任する必須の資格となっていたため、ミハイル・ゴルバチョフとともに病弱だったアンドロポフの有力な後継者候補として浮上した。 1984年2月にアンドロポフが死去し、コンスタンティン・チェルネンコが書記長に選出されると、名実ともにゴルバチョフとともに次の書記長職をうかがい、保守派に接近する。1985年3月10日のチェルネンコ死去時、政治局員と書記を兼ねていたのはロマノフとゴルバチョフだけであり、ロマノフはゴルバチョフの唯一のライバルであった。しかしゴルバチョフは、党最古参メンバーで重鎮のアンドレイ・グロムイコ政治局員の支持を取り付け、最有力候補に躍り出る。後継書記長選出にあたり自分の不利を悟ると、モスクワ党第一書記のヴィクトル・グリシンをかつぎ出すが、もはや政治局会議でゴルバチョフが書記長に選出されることを阻止できる状況にはなかった。そして3月11日に開かれた政治局会議でロマノフ、グリシン共にゴルバチョフ支持に回り、全会一致でゴルバチョフが新書記長に選出された。
※この「ゴルバチョフとの権力闘争」の解説は、「グリゴリー・ロマノフ」の解説の一部です。
「ゴルバチョフとの権力闘争」を含む「グリゴリー・ロマノフ」の記事については、「グリゴリー・ロマノフ」の概要を参照ください。
- ゴルバチョフとの権力闘争のページへのリンク