イラクへの侵攻と「建国宣言」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 00:00 UTC 版)
「ISIL」の記事における「イラクへの侵攻と「建国宣言」」の解説
「イラクでの戦い (2013–2017)」も参照 2013年12月30日のイラク西部アンバール県ラマーディーの座り込み運動の解散をきっかけとして侵攻を開始し、1月に同県のラマーディーとファルージャを掌握、3月にサマラを襲撃した。サマラからは6月5日のイラク軍の空爆により追放されたが、6月6日、モースルに複数の攻撃を実施した。6月10日、モースルを陥落させた。武装集団は、数百人規模で9日夜からモースル市街地を攻撃し、10日までに政府庁舎や警察署、軍基地、空港などを制圧した。過激派系のウェブサイトは、武装集団が刑務所から約3千人の囚人を脱走させたとしている。6月11日にモースルのトルコ領事館を制圧し、同国の在モースル総領事を含む領事館員ら48人を誘拐した。6月15日政府軍との戦闘の末、タル・アファルを制圧、6月17日にはバグダード北東約60キロのバアクーバまで進撃し、6月20日までにバイジ(英語版)の油田施設を包囲した。6月25日、イラク戦争で「キャンプ・アナコンダ」として知られているバラッド統合基地(英語版)を攻撃しアジール油田地帯を制圧した。また、ニーナワー県を断水させた。ISILは占領したモースルでシャリーアの強制による支配を行い、イラク政府への協力者に対する殺害ならびに盗みや強盗をした者の手足を切る刑罰を課しており、モースルの住民は退去を迫られている。 国際政治学者酒井啓子は、これらの攻撃に対して首相マーリキーは全く対応できていないと指摘した。一方、6月17日にイラク首相府はISILをスンナ派のサウジアラビアが財政的に支援し、大量虐殺を引き起こした責任があると非難する声明を発表した。これに対してサウジとアメリカは反発した。アメリカ共和党の上院議員ランド・ポールはISILが強化された理由の一つとして、アメリカ政府がシリア政権打倒のためISILに武器を移送したことを挙げている。また、オーストラリア外務大臣ジュリー・ビショップ(英語版)は150人のオーストラリア人がISILに加入していると明らかにし、彼らの帰国の懸念を表明した。6月20日、国連人権理事会はISILの侵攻によって100万人の住民が避難を余儀なくされていると声明を出した。 2014年6月29日、ISILは同組織のアブー・バクル・アル=バグダーディーが「カリフ」で、あらゆる場所のイスラム教徒の指導者であるとし、イスラム国家であるカリフ統治領をシリア・イラク両国の「イラクとレバントのイスラム国」制圧地域に樹立すると宣言した。また同声明において組織名からイラクとレバントを削除し、「イスラム国(IS)」と改変することを発表した。
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