マワーリー
マワーリー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 19:32 UTC 版)
重税に苦しんだ非ムスリムの農民は土地を棄てて周辺のミスルに流れ込み、イスラームへ改宗した。こうした改宗者はマワーリーと呼ばれる。彼らは移住先のミスルで貴重な労働力となったが、その一方で農民が減ったことで税収が減り、政府は財政の基礎を守るため彼らを元の村に強制的に追い返した。 8代カリフであるウマル2世はイスラームへの改宗を自由に認めたうえでミスルへの移住や、マワーリーへの俸給の支給を決定した。しかし、こうした改革は芳しい結果はもたらさなかった。マワーリーはミスルで生計を維持することが出来なかったため結局農村に留まって重税を払って生きるほかなく、むしろ現場の徴税官の間に混乱が広がって税収はかえって減少した。
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