たこくせき‐ぐん【多国籍軍】
多国籍軍(たこくせきぐん)
平和と安全の維持・回復に必要な軍事的手段を講じるため、各国が自主的に兵力を提供して組織する軍事組織のこと。国連の承認は得るが、正規の国連軍というわけではない。
多国籍軍の歴史は、1991年の湾岸戦争に始まる。当時、クウェートを侵略したイラクに対する軍事的な制裁として、アメリカの呼びかけで28か国から兵士が集まり、「砂漠の嵐」作戦を実行した。
国連憲章によると、平和に対する脅威(きょうい)、平和の破壊または侵略行為について、安全保障理事会がその存在を決定するとともに、経済制裁などの非軍事措置を取るべきか、それとも武力行使を含む軍事的措置を取るべきかを判断する。安全保障理事会で武力行使容認の決議を経て、多国籍軍の行動が許可される。
本来ならば、国連憲章に基づく正規の国連軍が創設されるはずだった。しかし、国連の指揮監督の下では軍事的な主導権を握れないとあって、特にアメリカの反対で、国連軍は一度も組織されたことがない。そのため、多国籍軍という形で、各国の主体的な判断を尊重するようになった。
多国籍軍の活動に要する費用は、国連からは拠出されないので、参加国で負担しなければならない。湾岸戦争のとき、武力行使に参加できない日本は、多国籍軍に対し総額130億ドルの資金協力をしている。
(2001.11.19更新)
多国籍軍(たこくせきぐん)(multinational forces)
国連・安全保障理事会の決議または勧告を受けて、その都度、複数の国が合同で編成する軍隊のこと。国連による指揮のもと、原則として各国の責任において活動する。
1990年、イラクによるクウェート侵攻で、国連・安全保障理事会はイラクに対する武力行使を容認するという内容の決議をした。この決議を受けて、アメリカを中心とする多国籍軍が組織され、湾岸戦争が始まった。
多国籍軍は、国連憲章第43条に規定されている正規の国連軍とは別のものであって、各国の部隊がそれぞれの責任において行動するのが特徴だ。
小泉首相は、イラク問題について、国連安保理の新決議を受けて編成される多国籍軍に自衛隊を参加させる方針を表明した。自衛隊の多国籍軍への参加は、過去に例がない。野党側は、憲法で禁止されている武力行使につながるとして、自衛隊の多国籍軍への参加に反対の立場を取っている。
(2004.06.14掲載)
【多国籍軍】(たこくせきぐん)
Multi Nations Force.
一般的には「複数の国から派出された部隊で組織された軍隊」であるが、実際は国際連合安全保障理事会の決議や勧告によって各国が合同で編成する軍隊を指す。
国連憲章で規定された国連軍とは異なり、各国が各々の裁量や責任において派遣する。
特に著名なのが、1991年の湾岸戦争における「多国籍軍」である。
湾岸戦争の多国籍軍はアメリカ軍を中核とし、中東諸国を含めた約30カ国の軍隊が参加した。
多国籍軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/28 15:06 UTC 版)
多国籍軍(たこくせきぐん、Coalition forces, Multinational force)は、多国籍で構成された軍隊のこと。
確立された詳細な定義はないが[1]、国際連合安全保障理事会決議などの国際合意に基づき各国が各々の裁量・責任において各種活動のために派遣した軍のこととされている[2]。国際連合憲章で規定された国連軍とは異なる[3]。
概要
多国籍軍は任務や状況に応じ、様々な形態があるが、安保理決議に基づき派遣された事実上の多国籍軍として、1950年の朝鮮戦争における国連軍がある[4]。参加各国軍は国連軍司令部に対し不同意権を留保していた。1981年にはシナイ半島における停戦監視のためにシナイ半島駐留多国籍軍監視団(Multinational Force and Observers)[5]が創設されており、この時に既に多国籍(Multinational)の語を用いるようになってきている。1982年のレバノン内戦で、パレスチナ難民や自国民を保護するとの名目で、アメリカ合衆国、イギリス、フランス、イタリアがレバノン多国籍軍(Multinational Force in Lebanon)を派遣した。これは、各国が各々の独立した指揮権の下に行なったもので、言わば単に同じ紛争で同じ時に同じ場所へ派遣された各国の軍隊であった。
日本で「多国籍軍」が広く知れ渡る動機になった出来事は、1991年の湾岸戦争である。1991年の湾岸戦争では、国連決議に基づき、アメリカを主力に西ヨーロッパ諸国や中東諸国を含めて約30ヶ国が参加し、多国籍軍が結成された。実態上は、アメリカ中央軍が統一して軍事作戦の指揮・統制を行ったが、名目上はアメリカとサウジアラビアの協議による指揮であり、各国は指揮権を保持し、統制に従う状況にあった[4]。この軍は、日本語では多国籍軍(他と区別する場合は「湾岸多国籍軍」)と呼ばれ、英語ではAllied (forces)[6]やMultinational force[7]と呼ばれる。
2001年のアフガニスタンのターリバーン政権への攻撃において、北大西洋条約機構がアメリカ同時多発テロ事件に対する(北大西洋条約に基づく)集団的自衛権を発動して攻撃を行った。それに続けてターリバーン政権が崩壊した後に多国籍の国際治安支援部隊が編成された[8][9]。
2003年のイラク戦争において、アメリカを中心とする諸国が Coalition of the willing (日本語で「有志連合」とも訳される、直訳すれば「意志の連立(合併)」とされる。)を形成して攻撃を行った。また、戦後のイラク駐留軍の正式な名称は、 Multi-National Force – Iraq であり、直訳すると正に「多(Multi-)国籍(National)軍(Force)」である[10][11]。
その他
- スポーツにおいて、外国籍の選手が数多く所属するクラブチームについて、多国籍軍と表現される事がある。NBAのミルウォーキー・バックスは2009年シーズンのロースター12名中7名がアメリカ国外生まれの選手となっている[12]。
- Allied forcesは連合軍と通常訳されるが、湾岸戦争時のように多国籍軍と訳される場合もある。
出典
- ^ 衆議院議員長妻昭君提出自衛隊の多国籍軍参加に関する質問に対する答弁書 平成十六年六月二十二日
- ^ 外務省 PKO政策Q&A
- ^ 冷戦後の国連安保理決議に基づく 「多国籍軍」 樋山千冬 国立国会図書館レファレンス
- ^ a b 多国籍軍の「指揮権」規定とその実態 等雄一郎・福田毅・松葉真美・松山健二 調査と情報 第453号
- ^ https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shiryo/sonota/k_kikan_18/pdfs/056.pdf
- ^ http://news.bbc.co.uk/onthisday/hi/dates/stories/january/17/newsid_2530000/2530375.stm
- ^ The Gulf War and the New World Order: International Relations of the Middle East Tareq Y. Ismael,Jacqueline S. Ismael P72
- ^ 武装集団220人を殺害 アフガン多国籍軍[リンク切れ]MSN産経ニュース2008.9.2 01:53付、共同通信配信記事
- ^ アフガニスタン内閣、駐留多国籍軍の地位見直しを求める AFPBBニュース、8月26日付AFP配信記事
- ^ 2 イラクにおける多国籍軍の動向平成20年度防衛白書 第I部 わが国を取り巻く安全保障環境
- ^ イラク多国籍軍の兵員「半減」、米軍「今や孤独の戦い」2007年5月10日12時47分 読売新聞配信記事
- ^ ミルウォーキー・バックス Archived 2009年4月27日, at the Wayback Machine. J SPORTS 2009年11月26日閲覧
関連項目
外部リンク
- 冷戦後の国連安保理決議に基づく「多国籍軍」The Reference 53(3) (通号 626) 号国立国会図書館調査及び立法考査局外交防衛課職員(当時)樋山千冬の論文
多国籍軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 04:41 UTC 版)
イラクの軍事侵攻に対し、同日中に国際連合安全保障理事会は即時無条件撤退を求める安保理決議660を採択、さらに8月6日には全加盟国に対してイラクへの全面禁輸の経済制裁を行う決議661も採択した。この間に石油価格は一挙に高まったものの、決議661の経済制裁によって、イラクは恩恵にあずかることができなかった。 8月7日、アメリカのブッシュ大統領は「サウジアラビアへのイラクによる攻撃もあり得る」と説得し、アメリカ軍駐留を認めさせ、軍のサウジアラビア派遣を決定した。アメリカはイラン・イラク戦争の際にイラクを支援しており、サウジアラビアも国内にメッカという聖地を抱え、外国人に対して入国を厳しくしている国であるため、友好国ではあるものの異教徒の国の軍隊の進駐を認めることは、多くのイスラム国家にとって予想外の出来事であった。 しかし、サウジアラビアとしても石油の過剰輸出の件でイラクと対立していたこともあり、クウェートに続いて自国も侵略される事を恐れていた。バーレーン、カタール、オマーン、アラブ首長国連邦、といった湾岸産油国も次々にアメリカに同調した。 しかし国連軍の編制は政治的に出来ないため、アメリカは「有志を募る」という形での多国籍軍での攻撃を決め、アメリカの同盟国かつクウェートと歴史的につながりの深いイギリスやフランスなどもこれに続いた。エジプト、サウジアラビアをはじめとするアラブ各国もアラブ合同軍を結成してこれに参加した。さらに、アメリカと敵対関係にあったシリアも参戦を決定したが、これはレバノン内戦に関する取引であった。アメリカはバーレーン国内に軍司令部を置き、延べ50万人の多国籍軍がサウジアラビアのイラク・クウェート国境付近に進駐を開始した(「砂漠の盾」作戦)。
※この「多国籍軍」の解説は、「湾岸戦争」の解説の一部です。
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