「砂漠の嵐」作戦
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「第7騎兵連隊 (アメリカ軍)」の記事における「「砂漠の嵐」作戦」の解説
1991年1月から2月にかけて、第1大隊および第4大隊は「砂漠の嵐」作戦(湾岸戦争)に参加した。 ウォルター・シャープ中佐に率いられた第1大隊は、第1騎兵師団の師団付騎兵大隊(divisional cavalry squadron)として投入され、その任務は師団付航空旅団(Division's aviation brigade)と位置づけられていた。第1大隊は5つの中隊(Troop)から構成されていた。すなわち、本部小隊、2個地上中隊(A中隊、B中隊)、2個航空中隊(C小隊、D中隊)である。これに加えて、フォート・フッドで非活性化されていた第2機甲師団第1騎兵連隊第2大隊A中隊がE中隊の暫定名称で派遣直前に追加配置されている。「砂漠の嵐」作戦直前まで、第1大隊は東南アジアに派遣されていた。イラク派遣後はイラク=サウジアラビア=クウェート国境地帯にて各種の偵察任務に従事した他、第1騎兵師団の先導などを務めた。1993年の再編成後も、E中隊は第1大隊の一部として存続した。1994年には従来のE中隊がC中隊に改名され、従来のC中隊がE中隊と改名された。 テリー・タッカー中佐(Terry L. Tucker)に率いられた第4大隊は、第3機甲師団(英語版)の師団付騎兵大隊として投入され、ブレット統制線の戦い(英語版)に参加した。大隊は1992年から第3機甲師団と共に非活性化された。1996年、第3大隊は韓国のキャンプ・ペラム(後にキャンプ・ギャリーオーウェンと改名)において、非活性化された第17騎兵連隊第5大隊の装備と人員を利用し、航空旅団として再活性化された。2006年には韓国のキャンプ・ハービーにて、第2歩兵師団第1重旅団戦闘団の一部として再配置された。
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