「砂上の楼閣」、アメリカでのレコーディング
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fOULの活動が活発化したため、1998年に谷口は会社勤めを辞め、大地と平松もバンド活動をfOUL一本に絞る。1998年3月14日にスタートした下北沢ShelterでのfOUL単独のライブ企画「砂上の楼閣」は、2005年3月21日までに34回を数える自主ライブ企画となる。1997年までレギュラーだった極東最前線には年末や特別企画のみの出演となったが、うち3回はeastern youthとともにCSで放映された。 1999年にはプロデューサーにジョー・チカレリを迎えてサンフランシスコで録音したセカンドアルバムを坂本商店からリリース。続くベルウッドからの2枚のアルバムもチカレリのプロデュースでそれぞれバンクーバーとロサンジェルスで録音された。 2000年6月と2001年8月には、それぞれNumber Girl、bloodthirsty butchersとの組み合わせでCSのライブ中継番組に出演した。 その後Promise RingやBurning Airlines、 Jets To Brazilといった当時代表的とされたエモ・バンドの来日公演オープニングに出演。 2005年3月12日の「砂上の楼閣」で活動休止を表明。ゲストは同じく夏からの活動停止を予告したPEALOUT。
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