砂漠の楯/砂漠の嵐作戦
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「コンフォート (T-AH-20)」の記事における「砂漠の楯/砂漠の嵐作戦」の解説
砂漠の嵐作戦時、「コンフォート」はサウジアラビアの沖合、カフジの近くに停泊した。1991年3月12日には帰国途中にあり、1991年4月15日にボルチモアに帰港する。「コンフォート」は6万5000キロメートルを航海し、1100万リットルの燃料を消費した。8000人を越える外来患者を治療し、強襲揚陸艦「イオー・ジマ (LPH-2)」で蒸気漏れ事故によって負傷した4名の兵士を含む700名が入院した。また、337回に及ぶ外科的処置が行われた。その他特筆すべき記録としては、2100回を超えるヘリコプターの離着艦、7000回に及ぶ処方、1万7000件に及ぶ検体検査、1600もの眼鏡の作成、80万食に及ぶ給食、141回のCTスキャンを含む1340回のX線検査などがある。
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