民族系統
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蝦夷の性格については、後のアイヌとの関係を中心に、江戸時代から学説が分かれている。蝦夷をアイヌ人とする蝦夷アイヌ説と、蝦夷を和人の一部とする蝦夷辺民説である。現在では、考古学からする文化圏の検討と、北東北にアイヌ語で説明できる地名が集中しているから、少なくとも飛鳥時代(7世紀)以降の蝦夷について、アイヌとの連続性を認める説が有力である。中央政府側に通訳がついていたことから蝦夷の言語が日本語と相当異なっていたことが分かり、前述の通りアイヌ語系の地名が東北北部に数多く残っていることから、アイヌ語系統の言葉を話していたと推定される。古墳時代の寒冷化に伴い、北海道の道央や道南地方を中心に栄えていた続縄文文化の担い手が東北地方北部を南下して仙台平野付近にまで達し、西南日本から北上して来た古墳文化の担い手と接触・交流していたことが、考古学的に明らかとなっている。彼らが文献上の蝦夷そのものであり、その後、北海道の蝦夷は最終的にアイヌに継承され、東北地方の蝦夷と国内に移配された俘囚は和人に合流したとされる。 一方で、蝦夷(えみし)は「ズーズー弁」(現在の東北方言の始祖)を話し、アイヌとは異なった民族であるとする説 もある。特に東北方言と出雲方言の類似性から、古代出雲系の民族のうち国譲り後も大和王権に従わなかった勢力が蝦夷(えみし)となったとする見方 もある。Boer et al.2020は、蝦夷は出雲と同様のズーズー弁を話しており、それは弥生時代(稲作の拡大に伴い)または古墳時代に出雲から東北北部にもたらされたと推定した。出雲弁とツングース諸語の類似 などから、蝦夷はもともと日本にいなかった馬を引き連れて大陸から来た北方新モンゴロイドの騎馬民族とする説もある。『吾妻鏡』貞応3年(1224年)2月29日条にある難破した高麗船の荷物の調査記録では、高麗の弓について「(本朝の弓と比べて)短く、夷弓(蝦夷の弓)に似ていて、皮製の弦である」と記されており、長弓を用いる和人に対し、短弓を使用していた。このような蝦夷の武器(短弓、毒矢)や戦術(騎射、軽装甲)はモンゴル系民族と類似している。なおアイヌも短弓と毒矢を使用する。 しかし、北方系の騎馬民族には刺青の風習はなく、日本在来馬の起源は蒙古馬から対州馬を経て、拡散されたものであり、この説も空想の域を出ない。北米のネイティブ・アメリカンの例でもある様に、渡来した集団(この場合白人)から馬を手に入れ、文化に組みこまれたものと思われる。
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民族系統
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そもそもの「匈奴」すなわち、単于氏族の攣鞮(れんてい)氏を中心とする屠各(とかく)種族と呼ばれる匈奴の中心種族の民族系統については、『晋書』四夷伝に「夏代の薰鬻、殷代の鬼方、周代の獫狁、漢代の匈奴」とあるように獫狁、葷粥と呼ばれる部族が匈奴の前身である可能性が高い。
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民族系統
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古代史学者の上田正昭によれば、現代日本人の多くの血液型で海外人種と一番近いタイプは中国南部の「湖南型」で、中国東北部の「満州型」や「朝鮮型」とはかなり違うとされる。一方で、指紋型は朝鮮南部に近いとされる。そして九州南部地域は現在でも血液指数、指紋指数が特殊な数値を示す事から、隼人も多少なり、血液・指紋の型は大和とは異なると見られる。 『古事記』には、鵜飼は隼人の文化であるという記述がある。鵜飼は「照葉樹林文化」を特徴づける要素である。したがって「照葉樹林文化」をもった集団が隼人に多分に含まれていたことが示唆される。 歴史学者の角林文雄によれば、隼人はオーストロネシア系民族とする見解がある。 隼人とは、文化的・人種的に独立した固有の民族集団ではなく、7世紀末~8世紀当時の律令政府が、律令体制導入の過程で大陸から取り入れた華夷思想に基づいて、古墳時代後期以来、地域的独自性が強く、班田制などの導入が未施行である薩摩・大隅地域の人々を、律令体制外の辺境民(化外の民)として「設定」し、朝貢させる形をとらせた、政治的に創出された「疑似民族集団」と捉える意見もある。 宝賀寿男は、隼人には犬舞いや狗吠などの独特な文化があり、朱の使用や犬・狼のトーテムを持っているが、これは苗族が犬頭神・槃瓠の後裔と称し、犬トーテムを持つことや、『旧唐書』、『新唐書』の吐蕃(チベット系)伝に、吐蕃の習俗として「犬吠之声」や朱丹・顔面塗布、自発的殉死があることと共通するとし、太陽信仰・鳥トーテムを持つ東夷系の天孫族や、稲作、断髪、黥面の文化を持ち、龍・蛇・鰐のトーテムと信仰を持つ百越系の海神族とは民族系統が明らかに異なるとして、隼人を「縄文人の末裔」とする見方を示している。
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民族系統
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/25 06:36 UTC 版)
タキトゥスの『ゲルマーニア』ではゲルマニア文化に属する民族として記載されているため、長らくゲルマン系として扱われていた。しかし「ゲルマニア」は後世に判明した事実とは異なる部分が多く、スエビへの言及についても疑問が持たれている。 タキトゥスより後の歴史家カッシウス・ディオは、「スエビ人はライン川に定住するまではケルト人と呼ばれていた」と述べており、ケルト系民族であることを示唆している。 ガリア戦記によるとガリア系民族からはゲルマン人の一部と見なされていたようである。
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