汎ヨーロッパ主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/07/20 08:10 UTC 版)
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| 欧州連合 |
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| 欧州連合の政治 |
汎ヨーロッパ主義または汎欧州主義(はんヨーロッパしゅぎ、はんおうしゅうしゅぎ、英語: Pan-Europeanism)とは、欧州全体を一体的に捉え、1つに統合する、あるいは一体性を高めることを志向する思想のこと。
狭義には、リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーを嚆矢として1920年代から始まる、欧州統合活動を伴う思想を指す。
概要
古代ギリシャ・古代ローマ・キリスト教の影響や、アジア・アフリカ(オリエント)やイスラム教との対比などにより、欧州(ヨーロッパ、オキシデント)には、近代以前からこの地域を一体的に捉える発想が醸成されてきた。
しかし、中世末期から近代にかけて、カトリックと正教会、および宗教改革によるカトリックとプロテスタントの対立や、細分化した民族主義、合理主義(理性主義)、唯物論、社会主義等の台頭により、この地域は急速に共通の基盤を失い、分裂・対立していくことになった。
そのような情勢を背景として、地域の混乱を収拾すべく、リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーによって提起され、台頭してきたのが、近代における汎欧州主義であると言える。
アメリカ合衆国の台頭や、第二次世界大戦による戦火とその後の植民地の喪失による欧州の没落・疲弊などもあって、この考えは欧州内に広く浸透して行き、現在の欧州連合をはじめとする欧州統合活動全般を支える思想的基盤となっている。
歴史
第一次世界大戦の終結に伴い台頭したパン・ヨーロッパ主義は、共有の歴史をヨーロッパのアイデンティティの基盤とし、そこに一連の根源的な「欧州の価値観」の源流を見出していた[1]。 一般的に、この「共通の歴史」には、古代ギリシャおよび古代ローマ、中世の封建制、ハンザ同盟、ルネサンス、啓蒙思想、19世紀の自由主義および諸形態の社会主義、キリスト教と世俗主義、植民地主義、そして世界大戦が含まれる。 文化的領域としての「ヨーロッパ」という言葉は、カロリング朝の時代に、東方正教会に対抗する形でラテン教会を包摂する概念として初めて用いられた。「ヨーロッパ」および「ヨーロッパ人」に関する最古の記録は、754年の『モサラベ年代記』に遡る。[2]同書には、732年のトゥール・ポワティエ間の戦いでサラセン人を撃退した人々を「ヨーロッパ人」と呼ぶ、ラテン語文書における史上最古の記述が見られる。 19世紀に入ると、イタリアのジュゼッペ・マッツィーニやフランスのヴィクトル・ユーゴーらがヨーロッパの統合を訴えた。 史上最古のヨーロッパ統合運動である「パン・ヨーロッパ連合」は、1923年のリヒャルト・フォン・クーデンホーフ=カレルギーによる著書『パン・ヨーロッパ』の刊行[3]を機に設立された。彼は1926年から1972年まで初代会長を務め、その後はオットー・フォン・ハプスブルク、アラン・テロヌワールへと引き継がれた。この運動は第二次世界大戦後に推進された統合プロセスの契機となり、最終的な欧州連合の結成へと結実した。主なパン・ヨーロッパ主義者としては、コンラート・アデナウアー、ロベール・シューマン、アルチーデ・デ・ガスペリらが挙げられる。
関連項目
- 欧州統合
- 欧州連合
- 国際汎ヨーロッパ連合
- パン・リージョン理論
- ヨーロッパ合衆国
- リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー
- 汎ゲルマン主義
- 汎スラヴ主義
- ユーラシア主義
- 汎アメリカ主義
- 汎アジア主義
- 汎アフリカ主義
- ↑ Aleknonis, Gintaras (2022-01-13). “The Hidden Interest in a Common European Identity”. Societies 12 (1). doi:10.3390/soc12010010.
- ↑ Rougemont, Denis de. Tres milenios de Europa: la conciencia europea a través de los textos. pp. 65
- ↑ “About us - History”. PanEuropa Bulgaria. 2026年7月15日閲覧。
- 汎ヨーロッパ主義のページへのリンク



