欧州連合の提唱とローマ条約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/07 06:35 UTC 版)
「欧州連合の父」の記事における「欧州連合の提唱とローマ条約」の解説
リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー(1894-1972)は、1923年に汎ヨーロッパ主義(パン・ヨーロッパ主義)を提唱し、国際汎ヨーロッパ連合のマニフェストを出版したのが最初である。1950年代初めに、ジャン・モネ(1888-1979)の計画を基に、ロベール・シューマン (1886-1963)がシューマン宣言の中で、欧州石炭鉄鋼共同体を提唱した。モネは欧州委員会の初代委員長に就任した。後にシューマンは欧州議会の委員長として奉職し、欧州統合を推進した人物として有名になった。 ローマ条約により創立した組織が、欧州経済共同体である。しかし、欧州連合創立の父のメンバーとして知られる中では条約に調印しなかった者もいた。例えばポール=アンリ・スパーク(1899-1972)はベネルクス連合として既に勤務しており、初代欧州議会委員長となっていたため、調印しなかった。他に条約に調印した欧州連合創立の父のメンバーには、コンラート・アデナウアー(1876-1967)、ジョゼフ・ベッシュ(1887-1975)がいる。
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