民族主義の近代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/08 00:03 UTC 版)
「セルビア・モンテネグロの歴史」の記事における「民族主義の近代」の解説
ナポレオン戦争後のウィーン体制では自由主義、民族主義が抑圧されたため、セルビアの独立は困難であった。そのさなかでも南スラブ民族の間で民族主義は高まりを見せ大セルビア主義が標榜された。1875年にボスニア・ヘルツェゴビナでの反乱をセルビアは支援。1875年のサン・ステファノ条約で国際的に独立を果たした。 20世紀に入るとオーストリア・ハンガリー二重帝国がこの地域に勢力を伸ばし始めた。1908年の同帝国のボスニア・ヘルツェゴビナ併合はバルカン半島のスラブ人の反発を買った。1912年と1913年のバルカン戦争ではオーストリア・ハンガリー帝国の干渉があり、さらに両国の軋轢は顕在化した。
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