サン・ステファノ条約とは? わかりやすく解説

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サンステファノ‐じょうやく〔‐デウヤク〕【サンステファノ条約】


サン・ステファノ条約

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/01 06:52 UTC 版)

サン・ステファノ条約
サン・ステファノ条約によるブルガリアの領域
署名 1878年3月3日
署名場所 イスタンブール西方の村
サン・ステファノ英語版
締約国 ロシア帝国オスマン帝国
主な内容 露土戦争の講和条約
関連条約 ベルリン条約 (1878年)
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サン・ステファノ条約(サン・ステファノじょうやく)は、1878年露土戦争の講和条約イスタンブール西方の村・サン・ステファノ英語版において1878年3月3日ロシア帝国オスマン帝国の間で結ばれた。

内容

この条約によって、オスマン帝国は多額の賠償金とともに、

などを課せられた。しかし、ヨーロッパ南東部におけるロシアの影響力の拡大、特にブルガリアの領土がエーゲ海に接していることによりロシア海軍がエーゲ海北部に拠点を置くことを恐れたイギリスオーストリアの干渉により、1878年6月ベルリン会議によって、ブルガリア国境が縮小されてマケドニアはオスマン帝国に復し、ロシアはバヤジト地方などの放棄を余儀なくされた。このことが、後の大ブルガリア主義に発展していくことになる。

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