大ブルガリアの分割
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/10 10:14 UTC 版)
「ベルリン条約 (1878年)」の記事における「大ブルガリアの分割」の解説
サン・ステファノ条約で成立した、広汎な自治権を持つ大ブルガリア公国は三分割された。マケドニアはオスマン帝国に返還し、残る地域のうち、バルカン山脈以北がオスマン帝国主権下の自治国であるブルガリア自治公国となり、バルカン山脈以南はオスマン帝国の自治州である東ルメリ自治州となった。ブルガリア自治公国はオスマン帝国に貢納の義務を負い、東ルメリ自治州に関してはキリスト教徒の総督をスルタンが任命することとなった。また、サン・ステファノ条約で定められていたロシア軍の駐留期間は短縮された。
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