サン・ステファノ条約・ブルガリア公国(大ブルガリア (政治概念))
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 16:46 UTC 版)
「マケドニア」の記事における「サン・ステファノ条約・ブルガリア公国(大ブルガリア (政治概念))」の解説
近代、19世紀末のスラヴ人によるオスマン帝国に対する反乱をロシア帝国が支援する形で介入した露土戦争の結果、その講和条約であるサン・ステファノ条約により、一時は、ほぼマケドニア全域が一体としてブルガリアに含まれる形で、ブルガリア公国(南西部の面積にして半分弱がマケドニア)として自治(実質的な独立)を認めることが盛り込まれた。
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