サンスーシ‐じょう〔‐ジヤウ〕【サンスーシ城】
サン=スーシ城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/08 03:22 UTC 版)
「シタデル、サン=スーシ城、ラミエール国立歴史公園」の記事における「サン=スーシ城」の解説
サン=スーシ城(Palais Sans-Souci, サン=スーシ宮)はハイチのアンリ・クリストフが居城とした建物である。現在の北県のミロー (Milot) にある。建設は1807年に始まり、1813年に完成した。サン=スーシはフランス語で「憂いなし」を意味する。 サン=スーシ城のモデルになったのはヴェルサイユ宮殿であり、建造にあたってバロック様式がとり入れられた。内装も高級木材や大理石などを使った豪奢なもので、フランスやイタリアから取り寄せられた建材や装飾品も用いられた。 ハイチで国王アンリ1世として君臨したアンリ・クリストフはこの城を居城としていたが、国内の不満の高まりを受けて、1820年10月8日にこの城の庭園で自殺した。ハイチの伝説では、彼は銀の小銃で黄金の弾丸を撃ちこんだという。アンリの亡骸はシタデルに葬られたが、自殺に関連してサン=スーシ城の遺跡では亡霊が出るとうわさされた。彼の息子で王太子だったジャック=ヴィクトル・アンリ(Jacques-Victor Henry)も、同じ年の10月18日に革命派によって銃剣で刺され、この城で歿した。 1842年にカパイシャン一帯を襲った地震で、この城も大きな損害を受けたが、再建されることはなかった。
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