共産主義からの転向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/19 07:25 UTC 版)
「ウンベルト・ボッシ」の記事における「共産主義からの転向」の解説
1941年9月19日、第二次世界大戦中にロンバルディア州ヴァレーゼ県のカッサーノ・マニャーゴでアンブロージオ・ボッシの子として生まれる。父は隣接するガッララーテで働く工場労働者で、母も共働きとして建物の管理人をしていた典型的な労働者階級だった。後に政治家になった際の記録では「技術専門学校で電気技師の資格を取得し、パヴィア大学に進んで医学を学んで自然科学の学位を取得した」とされる。一方で「学位は取得できなかった」として、電気技師の資格のみを取得したとの記載も混在している。青年時代から共産主義に傾倒して新左翼政党であるイタリア・プロレタリア共産主義連合(イタリア語版)の活動家として行動した。 1975年、イタリア共産党に入党した。地元であるヴァレーゼ県のサマラーテ共産党支部に配属されたが、この際に実際には医師免許を持っていないにも関わらず「医師」として党員証を取得している。サマラーテの共産党支部ではチリのピノチェト政権への反対運動などに従事した他、アマチュアのギターシンガーとしても活動している。 1970年代までのボッシは無名の政治家だったが、第二次世界大戦中の反政府組織を原型とするアオスタの地域政党「ヴァルドスタン連合(英語版)」との関わりから頭角を現し始める。運動の指導者であるブルーノ・サルヴァドーリ(イタリア語版)が主張する郷土主義と反国家主義・反ファシズムの影響を受けて共産主義から郷土主義に転向した。1980年にブルーノが事故死するとアオスタを離れて、故郷での組織作りを始めた。
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