赤狩り
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赤狩り(あかがり、英: Red Scare)は、政府が国内の共産党員およびそのシンパ(sympathizer:同調者、支持者)を、公職を代表とする職などから追放すること。第二次世界大戦後の冷戦を背景に、主にアメリカ合衆国とその友好国である西側諸国で行われた。
注釈
出典
- ^ 池上彰 (2019年3月18日). “ハリウッド揺るがした赤狩り 抗議した俳優たちの気骨”. NIKKEI STYLE. 日本経済新聞社. 2023年12月22日閲覧。
- ^ “トランプを支持する「意識の高い層」 偏る日本メディアの報道”. 週刊新潮. p. 3 (2017年2月3日). 2023年12月22日閲覧。
- ^ “バイデン米大統領候補支援イベントに「アベンジャーズ」結集”. 映画.com (2020年10月20日). 2023年12月22日閲覧。
- ^ YOKO NAGASAKA (2020年10月27日). “ブラッド・ピット、ジョー・バイデン民主党候補支持を表明 キャンペーンCMに出演”. ELLE. 2023年12月22日閲覧。
- 1 赤狩りとは
- 2 赤狩りの概要
- 3 概要
- 4 赤狩りを扱った作品
赤狩り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/20 21:06 UTC 版)
はじめは国内のファシスト摘発が目的で、1941年にはアメリカ国内でドイツとの関係が深く反ユダヤ主義を唱えていた「ドイツ系アメリカ人協会」を解散させた、1945年に常任委員会となる。第二次世界大戦終結後に米ソ冷戦が開始されると、その監視・告発対象は共産主義団体やその協力者へと移行し、ローゼンバーグ事件なども担当した。 ジョセフ・マッカーシー上院議員がアメリカ国務省内のスパイの存在を指摘し、マッカーシズムが台頭すると「赤狩り」の主要な舞台となった。これにより連邦政府職員だけでなく、作家、芸術家、俳優など多くの民間人もスパイ容疑をかけられ、共産主義者のレッテルを貼られることになった。しかし、マッカーシーの失脚と共にその権威は失墜し、1959年には赤狩り当時の大統領だったハリー・トルーマンに「今日、この国で最も非米的な物」と批判された。
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赤狩り(マッカーシズム)
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「ロイ・コーン」の記事における「赤狩り(マッカーシズム)」の解説
ローゼンバーグ事件での働きに注目したFBI長官ジョン・エドガー・フーヴァーは、当時24歳のコーンを、後に上院政府活動委員会常設調査小委員会(Permanent Subcommittee on Investigations)の委員長となるジョセフ・マッカーシーに推薦した。コーンは検事としての経験が殆ど無いにもかかわらず、より経験が豊富であるが、それがゆえにマッカーシーがコントロールしにくいとみられていたロバート・ケネディなどの候補を下して、ただちにマッカーシーの主任顧問となった。 やがてコーンは、マッカーシーにとって都合のいいパートナーとなっただけでなく、赤狩りにおいてマッカーシーに次ぐ権力者となり、マッカーシーによって「共産主義シンパ」と名指しされた者の糾弾者だった。ユダヤ系であるコーンの存在は、マッカーシズムの反ユダヤ主義的側面(赤狩りで審問を受けた人物はリベラルな政治志向を持つユダヤ人が多かった)を隠すために好都合だったという説もある。
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