建設省建築研究所による煙に関する鑑定報告
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「千日デパート火災」の記事における「建設省建築研究所による煙に関する鑑定報告」の解説
建設省建築研究所は、千日デパートビル火災の際に延焼階で発生した煙に関して、7階プレイタウンに流入した経路、量や質、濃度、危険度などの6項目について、大阪府警捜査一課・南署特別捜査本部(特捜本部)から鑑定を依頼されていたが、1973年3月27日にその結果がまとまり、同月29日に同特捜本部へ提出された。この鑑定書は1972年6月22日、23日両日に南署特捜本部が火災現場で実施した「燃焼実験」の結果および大阪市消防局の火災調査の結果を基に同建築研究所が10か月の期間を掛けてコンピューター解析し、作成したものである。同特捜本部は、同建築研究所の鑑定結果から刑事責任追及は妥当だと判断し、千日デパートビルの防火管理者や7階プレイタウンの防火管理者らを業務上過失致死傷の容疑で送検する方針だ、とした。 建設省建築研究所の鑑定によれば、3階の出火推定場所で工事監督が充分に消えていないマッチの擦り軸を商品の洋布団の上に投げ捨てたことにより、その5、6分後に火の手が上がり、10分後には高さ3.15メートルの天井まで火柱が到達した。その直後に火は天井面を這ってフロア内部を流れてフラッシュオーバーを起こし、輻射熱で3階の温度は摂氏300度に達してフロア全体が火の海になった。その後に同階の防火シャッターが閉まっていなかったエスカレーター開口部や階段出入口から上下階へ延焼し、火災発生18分後に延焼階の温度は摂氏600度から800度に達した。延焼していない7階プレイタウンの室温は、流入した煙と熱気の影響で摂氏80度に達したと計算された。 火災で発生した煙の量は、ピーク時で毎分あたり3トン、容積換算では7000立方メートルをはるかに超え、和室6畳間の容積を基準に比較すると実に233倍以上だと計算された。7階プレイタウンに流入した煙は、火災発生6分後には7階プレイタウンに到達した。その流入した割合は、発生した煙全体の10パーセントだったと計算され、流入経路はおもに事務所前のリターンダクト、らせん状のF階段、南側エレベーターシャフトからで、その噴出割合はリターンダクトからが18パーセント、F階段67パーセント、南側エレベーターシャフト15パーセントだと計算された。煙の流れは異常なほど早く拡散しており、その要因としては、千日デパートビルは商業施設ということで各階が開放型売場であることから壁や間仕切りなどで細分化されておらず、煙の拡散を遮断できなかったことが影響した。さらには北東正面などの出入口が消火作業のために開放されたことにより、大量の空気が流れ込んだ影響で煙の流れが加速された。7階プレイタウンでは、外窓の開口部が小さく、更には非常口や屋上出入口が閉ざされていたために煙の排出が殆ど為されなかったことから、同階に流入した煙の濃度は、室内の見通し距離から濃度を算定する「減光係数」では最大「24」だと解析された。この数値は「0.1から0.2」で避難安全限界に達するとされていることからすれば、実に200倍以上の猛煙だったことになり、プレイタウンの避難者には一寸先も見えなかった。 延焼階で燃焼した物品は、おもに化繊商品や新建材で、その量は25トンだった。煙の成分はおもに一酸化炭素で有毒ガスも発生したが、その量は微量だったと解析された。7階プレイタウンにおける酸素濃度は、延焼が進むにつれて急激に減少し、煙の流入から17分後には酸素と一酸化炭素の濃度は同比率となり、その2、3分後には一酸化炭素の濃度が極端に増えて、プレイタウン滞在者の煙死に繋がった。火災で煙の詳細な鑑定や解析が為されたのは、わが国では初の事例であった。
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