日本急行バス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 16:03 UTC 版)
1958年(昭和33年)7月18日、名古屋鉄道・阪急電鉄・京阪電気鉄道・近江鉄道を中心として、日本急行バス(日急バス)が設立された。この日本急行バスは全国各地にハイウェイバス路線網を張り巡らせるべく、政府主導で事実上の「国策会社」として設立されたため、上記の4社以外にも全国各地の私鉄・路線バス会社318社からの共同出資によって発足した。 1964年に開通した名神高速道路を走る高速バス路線は、国鉄バス(現:JR東海バス・西日本JRバス)以外にも数多くの会社が路線開業を計画し、混乱したため運輸省(現:国土交通省)が調整に入った。その結果、国の交通政策を体現する国鉄バスと、名神高速道路に隣接するバス路線網を持つ民営バス会社が出資する日本急行バスの2社体制により、名神ハイウェイバスを運行することとなった。 しかし、近鉄をはじめとする他の関西私鉄各社は、名鉄が最大出資となる日本急行バスの参加に納得せず、同様の不満を抱えた阪神・南海と3社で近鉄50%、阪神・南海25%の出資比率により独自に日本高速自動車を立ち上げ、運輸省に対して2社独占に対する弊害と不公平な資本参加を訴え、運輸省もその主張に同調する形で3社に対し高速バス免許を交付した。 また、その後に勃発した建設省・日本道路公団(共に当時)側と、運輸省・国鉄側の高速バス運行の主導権争いに建設省側が負けたため、建設省が設立に関わっていた日本急行バスは結局、名神高速道路の運行に留まることとなった。 そもそも名阪間の旅客輸送に関しては、名神高速の開通とほぼ同時期に速達性で太刀打ちできない東海道新幹線が開通しており、さらにそれ以前から近鉄特急(名阪特急)が高速バスと頻度・到着時間・運賃ともに遜色ない運行を行っていたため、高速バスの需要はもとより少ない状態であった。 その上、3社による運行(トリプルトラック)となったことから開業当初から熾烈な旅客の争奪戦が始まり、相次ぐ運賃値下げ・サービス拡充による採算性の悪化と、その後のマイカー普及による岐阜・滋賀両県下の途中停留所での利用減少などで乗客は著しく低迷し、3社ともかなりの赤字を出す路線となった。 このため1971年には、日本急行バスの経営に最も深く関わっていた名鉄が責任を取る形で他社の出資を肩代わりし、日急バスを名鉄グループ入りさせて経営の立て直しを図った。1979年にはこの一環として、名鉄傘下の大手観光バス会社である名古屋観光自動車へ運行委託を行った。 1999年には、名鉄直営のバス部門(現:名鉄バス)が運行していた夜行高速バス路線の一部(長崎線・熊本線)が日急バスへ移管された。
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