後期合造車型
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/02/04 14:00 UTC 版)
クハユ2形 (5・6) クハユ3形 (7 - 10) クハニ4形 (32 - 34) 1928年(昭和3年)にクハユ6両、1929年(昭和4年)にクハニ3両の計9両が新製された。 同時期に増備された後期普通車型グループにおいては、2扉構造化を始めとした車体設計の見直しが実施されていたものの、本グループは客荷合造構造であるため前期合造車型グループの車体構造を概ね踏襲したものとなっている。ただし、本グループにおいては荷物室面積の見直しが実施され、前期合造車型グループの10.01平方メートルに対して9.88平方メートルとわずかに縮小されて、側面窓配置もdB5D7D1と変更された。全車とも片運転台仕様で落成し、連結面側車端部にはトイレが設置され、車内はセミクロスシート仕様である。 クハユ2形5・6は落成翌年の1929年(昭和4年)に荷物室を一般荷物輸送向けに改造され、車番はそのままにクハニ3形5・6と改称された。また、1932年(昭和7年)にはクハニ3形5・6、クハニ4形32 - 34ならびにクハユ3形7(初代)が電動車化ならびに両運転台化改造を施工された。 電装品についてはデハユ1は従来から採用されていたイングリッシュ・エレクトリック製の物が採用され、制御器はカムシャフトコントロールマルチプルユニット式を電動機は直流直巻補極付電動機(出力97kW、電圧750V)が搭載された。歯車比は21対59である。デハニ2 - 6については前期合造車型クハユ6(初代)のデハニ1形化改造と同様に日立製作所製の電装品が採用された。 改造後は改称・改番が行われ、クハニ5・6、クハニ32 - 34がデハニ1形2 - 6、クハユ7(初代)がデハユ1形1となった。また、クハユ7(初代)の電動車化に伴ってクハユ3形10がクハユ7(2代)と改番され欠番を埋めている。 1934年(昭和9年)には混雑対策としてデハニ2 - 6の荷物室を撤去して客室スペース化し、同4両はデハ8形88 - 92(デハ90は初代)と改称・改番された。普通車化に際しては荷物室を存置したまま同スペースにロングシートを新設し、荷物専用扉を締切扱いとした上で客室化を実施するという、前期合造車型デハニ1と同様の改造が施工された。 本グループにおいてはデハ90(初代)が戦災で被災し、1947年(昭和22年)に汽車製造において焼損車体をそのまま修繕する「叩き直し」と称する修繕方法によって復旧工事が施工された。復旧に際しては車体外観には変化はなかったものの、荷物室面積が19.13平方メートルと拡大され、同時に副運転室とトイレが撤去されて片運転台構造化された。なお、復旧後のデハ90は同時に復旧工事を施工された前期合造車型クハユ1形3(初代)と車番を交換する形でクハユ3(2代)と改称・改番され、現車は動力を持たない制御車として竣功している。 大改番に際しては本グループ全9両が対象となって、クハユ290形・クハユ490形・モハニ5470形・モハユ3290形の4形式に区分された。 クハユ2形・クハユ3形・クハニ4形 改番一覧形式 車番 荷物合造車化 電動車化 改番 荷物室撤去 戦災復旧 大改番 クハユ2形5・6 クハニ3形5・6 デハニ1形2・3 ‾ デハ8形88・89 ‾ モハニ5471・5472 クハユ3形7 (I) ‾ デハユ1形1 ‾ ‾ ‾ モハユ3290 8・9 ‾ ‾ ‾ ‾ ‾ クハユ298・299 10 ‾ ‾ クハユ7 (II) ‾ ‾ クハユ297 クハニ4形32 ‾ デハニ1形4 ‾ デハ8形90 (I) クハユ1形3 (II) クハユ490 33・34 ‾ デハニ1形5・6 ‾ デハ8形91・92 ‾ モハニ5473・5474
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