E-8シリーズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/02 16:15 UTC 版)
1960年代の終わりにはモルニヤロケットより強力なプロトンロケットが使用可能になった。プロトンは月まで重量5トン程度のペイロードを送り届けることができた。このロケットに合わせて設計されたのがE-8(Ye-8)探査機であった。E-8は重量5トンの大型月探査機で、E-6と同様に複数の派生型が用意された。E-8は月面車を使用して探査を行う型、E-8-5はサンプルリターン(月の石の回収)を行う着陸機、E-8LSは周回探査機であった。 E-8型探査機の打ち上げの準備は1969年に整ったが、最初の2回の打ち上げは失敗した。2回目の飛行で打ち上げられたのは土壌を回収して地球へ届けるE-8-5だった。これにはアポロ計画に先駆けて地球に月の石を持ち帰り、世界にアピールする狙いがあった。 3回目の打ち上げもE-8-5が使用された。ルナ15号と名づけられたこの探査機が打ち上げられたのは、アポロ11号のわずか3日前だった。ルナ15号は月周回軌道に留まった後、アポロ11号の着陸直前に月面への降下を開始した。順調に進めばアポロの帰還の前に世界初の月の石を手に入れることができるはずであったが、探査機は着陸前の減速に失敗して墜落した。 ルナ15号の失敗によりソ連はアメリカより先に月の石を手に入れることはできなかった。しかし有人月着陸のために月の土壌の安全性を調査し、また技術力のアピールに役立てるため、E-8-5の打ち上げは続けられた。ルナ15号以降、3機の探査機がプロトンロケットの故障により失われたが、1970年9月12日に打ち上げられたルナ16号は初めて無人で月の土を地球に送り返すことに成功した。 1970年11月10日にはルナ17号(E-8)が打ち上げられ、世界初の月面車(ルノホート1号)による探査を行った。ルノホート1号の運用は予定を超えて続けられ、大きな成果を挙げた。1971年に打ち上げられたルナ18号(E-8-5)は二度目のサンプルリターンを目指したが、着陸に失敗した。ルナ19号(E-8-LS)は月周回探査機で、軌道投入後1年以上にわたって観測を行った。1972年のルナ20号(E-8-5)は30gと少量ながらも二度目の月の土壌回収を果たした。1973年のルナ21号はソ連としては2台目となる月面車を月に降ろし、5ヶ月間の探査を行った。 このように有人飛行へ向けての月の調査は十分に進められていたのに対し、有人飛行計画そのものは頓挫していた。特にN-1ロケットが4回連続で試験飛行に失敗して実用化の目処が立たないことが障害となった。こうした中、1974年5月に有人月着陸計画(L3計画)の中止が決定され、ルナ計画の意義は薄れることとなった。ルナ22号(E-8-LS)は19号に続く月周回機で、1974年6月から翌年9月まで月を探査した。続いて2回の失敗ののち1976年8月にルナ24号(E-8-5)が月の土壌170gを地球に送り届け、これをもってルナ計画は終了した。
※この「E-8シリーズ」の解説は、「ルナ計画」の解説の一部です。
「E-8シリーズ」を含む「ルナ計画」の記事については、「ルナ計画」の概要を参照ください。
- E-8シリーズのページへのリンク