東ヨーロッパの例外
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 08:39 UTC 版)
ユーゴスラビアは「東側諸国」やワルシャワ条約機構加盟国になったことがない。ユーゴスラビアは社会主義国家ではあったが、チトー元帥率いるパルチザンが第二次世界大戦中にソ連軍が迫る前に独力でドイツ軍からの解放を成し遂げ、加えてスターリン主義に対する批判を行なったため、戦後もソ連の指導力は限定的であった。ユーゴスラビアは冷戦中、中立国であることを宣言し、非同盟運動の提唱国のひとつとなった。 スターリニズム国家のアルバニアも、第二次世界大戦の過程で政府を独力で樹立し、ソ連軍の影響からは独立した状態であった。アルバニアは1960年代前半に中ソ対立の結果、「反修正主義」の立場からソ連と対立して中華人民共和国と同盟。その後、中国が改革開放に転ずると中国とも決裂し、半鎖国的な独自路線を取っていった。
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