東ヨーロッパ・中央ヨーロッパ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 03:19 UTC 版)
「世界金融危機 (2007年-2010年)」の記事における「東ヨーロッパ・中央ヨーロッパ」の解説
中東欧諸国は危機発生まで成長を続けており、住宅市場のバブルは発生しなかった。しかし、西ヨーロッパなどの外資系銀行から資金を調達する外貨主導型であり、総銀行資産のうち外資系銀行の資産が85%から90%と高い水準にあった。また、家計や企業が外貨建てのローンを組んでいる国も多かった。2009年には東欧のEU加盟国をユーロ圏に加盟させてECBが支援するという要請もあったが、ECBの賛成は得られなかった。このため危機が発生すると、国際金融市場の縮小、EU諸国の需要低下、外国直接投資の減少による影響を受けた。 四半期ごとに500億ドルが中東欧やNIS諸国に流入していたが、危機によって流れが反転し、2008年第4四半期から2009年第1四半期にかけて1500億ドルが流出した。ハンガリー、ブルガリア、ルーマニアは債務の半分が国外からの融資でもあった。東欧はFRBの通貨スワップ枠に含まれておらず、ECBはユーロ建ての資金しか送れないので問題の解決にはならなかった。2009年には東欧のEU加盟国をユーロ圏に加盟させてECBが支援するという要請もあったが、ECBの賛成は得られなかった。 旧ユーゴスラビアのスロベニアは2004年にEUに加盟して成長を続けていたが、それと平行して2000年代から急激に国外からの借入を増やしており、危機の発生で資金の流れが反転した。2009年には29億6000万ユーロが流出し、商業銀行の預金はマイナスとなり、建築業を中心に企業の破綻が相次いだ。リーマン・ショック直前の選挙で政権交代をなしとげたボルト・パホル政権は対応に苦慮し、外資系銀行が少なかったため政府が資本注入をする必要があった点も財政に悪影響をもたらした。ルーマニアは2009年に通貨レイが急落したためIMFや欧州委員会に支援を求め、約200ユーロの融資の条件として公務員給与の25%削減、付加価値税の引き上げなどを受け入れた。
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