東ヨーロッパへの拡大
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 05:19 UTC 版)
「ユーロシティ」の記事における「東ヨーロッパへの拡大」の解説
ユーロシティの誕生した1987年は東欧革命以前であり、ユーロシティは西側ブロック(ただしスイスとオーストリアも含む)でのみ運行されていた。しかし1988年夏にはEC「レハール」(ウィーン - ブダペスト)がハンガリーに乗り入れた。 東欧革命後、1991年夏ダイヤ改正でEC「アントニン・ドヴォルザーク」(ウィーン - プラハ)によりチェコスロバキアがユーロシティ網に加わるとともに、パリ - フランクフルト・アム・マイン間の列車であった「ギュスターヴ・エッフェル」、「ハインリッヒ・ハイネ」がドレスデンまで延長され、旧東ドイツ地域にユーロシティが乗り入れた。1992年夏にはEC「ベロリナ(英語版)」(ベルリン - ワルシャワ)、「ミマラ」(ミュンヘン - リュブリャナ - ザグレブ)が新設されポーランド、スロベニア、クロアチアにユーロシティが乗り入れた。 さらに1993年夏ダイヤ改正でも中央・東ヨーロッパに新たなユーロシティが多数生まれた。中でも「ウィンドボナ」(ベルリン - プラハ - ウィーン)と「ハンガリア」(ハンブルク - ベルリン - プラハ - ブダペスト)は、元は冷戦時代にはTEEに対抗して運行されていた東側ブロックの国際急行列車であった。
※この「東ヨーロッパへの拡大」の解説は、「ユーロシティ」の解説の一部です。
「東ヨーロッパへの拡大」を含む「ユーロシティ」の記事については、「ユーロシティ」の概要を参照ください。
- 東ヨーロッパへの拡大のページへのリンク