東ヨーロッパのローマ法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/09 14:16 UTC 版)
東ローマ帝国においては、ユスティニアヌス法典が法実務の基礎となった。レオーン3世は、8世紀前半にエクロゲーという新たな法典を公布した。 9世紀には、バシレイオス1世とレオーン6世がユスティニアヌス法典中の勅法彙纂と学説彙纂を総合的にギリシャ語に翻訳させ、バシリカ法典(英語版)として知られるようになった。ユスティニアヌス法典やバシリカ法典に記録されたローマ法は、東ローマ帝国の滅亡とオスマン帝国による征服の後でさえ、ギリシャ正教の法廷やギリシャにおいては法実務の基礎となり続けた。
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